幕間 救われない彷徨者へ…
1 邂逅
目を開ければ、そこは一面が白で塗りたくられたかのような大部屋だった。正面には大型の機械が周辺機器と束になったコードで繋げられており、壁掛けのモニターに映し出された無数の数字は、一瞬毎にぐるぐると変動しているが、数秒ほど経つとその画面にERRORの文字を叩き出す。
静音凛は、ガラス越しの隣部屋を傍目で見やると、白衣を着た担当医に声を掛けた。
「結果はどうですか?」
「……すみません、変化無しです」
「……そうですか」
男の言葉に小さく了承の意を示すと、頭に取り付けていたヘッドギアを外す。身体中に貼り付けてあった電極を一つ一つ丁寧に剥がしていくと、近くの台の上に乗せて、そのまま測定室を後にした。
能力測定ーーとは、能力者を集めて作られた混合型人間特別支援高等学校ならではの特殊な身体検査のことだ。
測定は全学年の生徒が春休みの期間内に行うもので、その方法は至って単純である。作務衣のような病院衣を着て機械の前に立ち、身体をスキャンするというやり方は何かとレントゲン撮影に似ているようにも感じる。
仕組みに関しては、身体の中に流れている能力の源を測定するので、実際に能力を使う必要は無く、ただ立っていれば自動で能力値を解析するようになっているらしい。何やら身体から得られる波長から減法を重ねていくことによって能力値を割り出しているのだとか聞いたことはあるが、実際にはもっと複雑な工程を経ているのであろう。
ーーだが、その測定では、凛の能力値を解析するには至らなかった。
通算二十三度。
凛が初めて能力を測定した時、計測器は無慈悲にもシステムエラーを吐き出した。最初は機械の故障だろうと思われたが、その見解は二度、三度と繰り返されるエラーで塗り替えられた。四度目の測定で、実際に機械を故障させるにまで至った。
それから何度も特例で検査を受けているのだが、結果が出ることは無く、こうして今でも季節外れの測定が続いている。
溢れ出る憂鬱さに凛はため息をつくと、別室で病衣からいつもの制服に着替えて病院のロビーへと向かう。
陽光の明るいロビーでは、一人の青年が眼鏡をずらし、曲がった姿勢のまま睡魔に沈んでいた。爆発した茶髪によだれを垂らしたその姿からは学校の担任教師などという単語は永遠に想像できないだろう。凛は呆れ顔でその堕落した教師を眺めると、容赦無くその頭をグーで殴る。
「痛ぁああ!! 何するのさ!?」
「あぁ、すみません。……なんだか幸せそうだったので」
「え、えぇ……。凛くんは幸せな人を殴る趣味でもあるのかい……?」
「失礼な……。先生以外の常識人にはそんなことしませんよ」
「さりげなく僕をディスるの止めてもらえないかな!?」
頭にたんこぶを作った眼鏡の教師は着ているヨレヨレの白衣を軽く払うと、少しだけ真面目な表情で凛に問いかける。
「それで、……結果は?」
凛は小さくかぶりを振った。
「……そうかい。まぁ、そう簡単に結果が出るとも思って無かったけどね」
そこで白衣の教師はふと真剣な表情を作る。
「ところで、今日はこれで帰るのかい?」
「……? ええ、外に空を待たせてるので」
今日の検査には妹の空を連れてきている。どうしても行きたいという本人たっての希望だったので一緒の車で来たのだが、病院側の都合により今は外の玄関口の脇に待たせてある。
「そっか。……せっかくだし、これで昼ごはんでも食べていきなよ。帰り道にあるファミレスとかオススメだよ」
ひらりと渡されたのは一万円札。というか一緒に帰るのではないのか。それを抜きにしても二人分の昼食代にしては些か多すぎるだろう。などと考えたところで、担任が表情をふにゃりと崩してサムズアップ。
「それじゃあ凛くん! 初デート頑張ってね!!」
「余計なお世話だよこの駄教師!!」
余計な気の利かせ方だと思った。同時になんだか渡された額について考えるのも馬鹿らしくなってしまったので、そのまま一万円札は手元の財布につっこんで病院を後にする。後ろでは「後で感想も教えてね〜、期待してるよ〜!」などとのたまう阿呆が居たが、勤めて無視しようと心に決めた。
ーーだからこそ。
「ふふっ……、ここまでお膳立てもしてあげたんだ。これからの君の行動に期待してるよーー静音凛くん」
その呟きが、凛に届くことは無かった。
◇◆◇◆
軒並みに立ち並ぶ高層ビル群は、この国の文明の象徴である。特に都心周辺の時代を越えたかのような様変わりは、凛の古い記憶を一面に塗り替えていく。
「景色、随分変わったな……」
あの頃からずっと大きくなってきた実感があるのに、変わらない自身の小ささを感じさせる街並みに凛の心は激しく揺れた。
「えぇ……? そうかなぁ……。大袈裟だね、お兄ちゃんは」
「大袈裟って……。ま、まぁ、学園の外に出ることなんて滅多にないんだから、ちょっとはびっくりしたけどさ」
普段から学園の外に出ることを許されていない凛には、久しぶりの外出に心踊るものがある。こうして敷地の外を、それも空と一緒に歩けるのは一体何年ぶりなのだろうか。そのことを思うと胸が張り裂けそうになる。あの時、幼いながらも耐え忍ぶことを選択した自分はきっと、この日を待ち望んでいたのだろうと、心の底からそう思う。
ーーだからこそ。こうしてまた手に入れることの出来た幸せを、静音凛は守り抜かなければならない。
凛にできることはたかが知れている。だから自分にできることはたった一つ。この現状を維持すること。悪夢を繰り返さないために空一人の幸せを全力で支えるだけ。
それで幸せにできるのなら。それはーー
「……お兄ちゃん、変なこと考えてるでしょ?」
「……へ?」
「もう! すっごく寂しい顔してるから隠しても無駄だよ。お兄ちゃんの責任は私の責任でもあるんだから、……だからもっと自分に優しくしてあげて」
「……あ、あぁ。……気遣わせて悪いな」
「分かればよろしい」
幸せにすると誓った側から、その相手に慰められるとはどういうことか。恥ずかしさでもはや心が瀕死である。
よほど微妙な表情をしていたのだろうか凛の顔を見た空は怪訝な表情で「お兄ちゃん?」と呼びかけてくるのだが、追い討ちにしかなっていないので凛の表情は変わらない。むしろ居た堪れなさが加速していく。
「あのね、お兄ちゃん。お兄ちゃんがどれだけ自分のことが嫌いになっても、私は絶対にお兄ちゃんのことを嫌いになんかならないから。……だからね、元気出して?」
凛の百面相をどう取ったのか空は手を取って困ったような顔を向ける。こちらの恥ずかしさもあるが、これ以上空に気を遣わせるのも悪いので、気持ちを切り替えて笑顔を作る。
「ああ、ありがとうな、空。元気出たよ」
「……そっか、良かった」
握られた手はもうしばらく繋いだままでいようと思った。
◇◆◇◆
せっかくの外出なので楽しまなきゃ損だよ! と、ご機嫌の空と街の至る所を周りながら、適当に昼食をとれる場所の目星を付けていく。完全に観光気分である。
今まで外に出ることすら制限されていた凛にとっては新鮮な気分であると同時に、いきなりここまで自由にうろついて良いのだろうかという若干の遠慮もあったのだが、空の笑顔を見ていたら、そんなのは些細なことのように思えてきた。
「空、そろそろお昼にしよう。さっき良さそうな場所を見つけておいたから、ここで食べてから帰ろう」
「えっ、お兄ちゃんお金持ってきてるの?」
「さっき担任から踏んだくってきた」
ニヤリと黒い笑みを浮かべながら万札の入った財布を指差す。なんだかいいように弄ばされているようで癪だが、もうここまできたらとことん使ってやろうと思う。
空が微妙な顔をして首を傾げているのはきっと担任の懐事情を心配しての事だろうが、何故だろうか罪悪感が欠片も浮かんで来ないのである。人としてそれはどうなのかと自問するが、結局答えは出なかった。
仕方なく行き詰まった思考を停止させて、現実に戻ってくる。
そのまま、とりあえずは担任一押しの店とやらを拝みに行こうと空と一緒に踵を返した瞬間。
ーー声が聞こえた。
「ーーーーーーな」
それは、救いを請う声だった。
身を切るような痛々しい声。血の滲むまで声を枯らした魂の叫び。
凛は慌てて周囲を見渡すが、道を行き交う人々は誰一人としてその声に気付かない。ともすれば聞こえたのはおそらく自分だけ。
ならば、これはきっと。
「お兄ちゃん……?」
凛の異変に気付いたのか、空が不安げに言葉を漏らす。繋いだ手の震えからは不安と心配が感じ取れた。数秒の逡巡を経て、空を待たせる旨を伝えようとしたがーー
「私……嫌だよ」
「ーーえ?」
「……お兄ちゃんは、また私を置いて遠くに行っちゃうの?」
刹那の沈黙。
十年前を想起する。あの時、目を離したから失敗した。一人で突っ走ったから周りが見えなかった。そうして消えない過ちを犯してしまったのではないのか。
凛は空を守りたい。幸せにしたい。その思いは本当だ。だからこそ、自分が介入することに空を巻き込みたくない。
なのに、その想いは空の願いと相入れなかった。
凛には空の願いを断れない。だから。
「……わかった、一緒に行こう。ごめんな空、多分巻き込むことになる」
「ううん、大丈夫。お兄ちゃんさえ側にいてくれたら、私はそれで充分だから」
「…………ありがとう、空」
凛と空は繋いだ手を固く握り締めて、声の聞こえた方向へと足を向ける。頭に響いた声は漠然とした感情の叫びだったが、なすべきことは弁えていた。凛は入り組んだ裏路地を正確な足取りで進んでいく。
ーー凛には時折、他者の感情が声となって聞こえることがある。
それが能力のせいなのかそうでないのか、はっきりとしたことは判らない。ともすれば全て自分で生み出したまやかしなのかもしれない。
けれど、この幻想は凛を縛り付ける。
ーー分かっている。
本気で空の幸せを願うのなら、この行動は凛にとって必要のないことなのだと。
今自分がしているのは、空のためでもなんでもない、ただの安っぽい自己満足のために過ぎないのだと。空を幸せにすると誓いながら、人間らしさを捨てなかったせいで空を危険に晒してしまう。だとしたら、これほど滑稽なことは無い。
なぜこうなったのかは、簡単だ。
凛には勇気も、強さも無かった。
誰かの助けを求める声を切り捨てられる勇気もなければ、切り捨てたまま生きていける心の強さもない。
空の幸せを願っていながら、別の誰かを救い上げるという矛盾が、遠からず己の破滅を導くと解っている。
切り捨てる強さを求め、けれども見捨てられない弱さに囚われ続けて、その果てに凛はかけがえのないものを失うだろう。
失うことは必然。
必ず、破滅が待っているのならーー
ーーそれなら、俺が道を代わってやろう。
ーーその時こそ、この命を使い尽くそう。
路地裏の奥。凛と空が入ってきた表の通りから物置と化した小道を数度曲がった先の行き止まりに、彼女らはいた。
片方は黒髪。腰まで伸ばした髪と同じく漆黒をたたえた黒曜の瞳は、吸い込まれるような闇を内包していた。
もう片方は白髪。透き通るような肌に浮かぶのは鮮紅の瞳で、髪の色とは対照的な黒のワンピースを着て暗闇に溶けている。
まるで鏡写しのように瓜二つで正反対な少女二人は、壁に寄りかかるようにして座って、固く手を繋いでいた。
よく見れば二人とも全身埃塗れで、靴すらも履いておらず、肩口には対称の位置でボロボロの包帯が巻かれている。傷だらけなのは一目瞭然だが、彼女らは特に気にした様子もなく、じっと凛を見つめていた。
凛と空。二人の少女の目線が無言で交錯する。そうして彼女らは口を開きーー
「ーーーーあなたは、だぁれ?」
ーー物語の歯車が、動き出す。




