撫塵は昨なれども、耳順催す

撫塵は昨なれども、耳順催す

残された人生を穏やかに暮らしたい。ささやかな願い。
しかし今は貧困層にいるので、そのためにはこの歳からでも
なんとか生活再建をしなければなりません。
そんな心身に不具合を抱えた中高年齢者の生活奮闘記です。

( 素材 by   pixabay   )

 

 

 

 

いつものことですがわたしは右だ左だのの
いわゆるイデオロギーにはあまり興味ありません。

ですが経済政策はわたし自身を含むわたしたち国民の
生活そのものですからここには拘ります。

与党野党の新代表が各々決まりました。
両新代表の共通点は
「政府は税を集めそれを財源として支出している」
という認識だと思います。

ですから必然「財政規律」とうものを重視する。

野党の新代表は昔から一貫して消費税(他)増税を主張しています。

財政規律、を認める以上この先時間が経てば経つほど、
どこかで増税(の他にも可処分所得を減らす社会保険料の増大など)
を打ち出してくるでしょう。
または支出自体の削減(一番は社会保障費)です。

そして時間がいくら経っても減税なり社会保険料の減額といった、
国民の可処分所得を増やす政策は絶対に行われないでしょう。

なにをもって財政規律とするかにも立ち位置はさまざまですが、
「政府は税を財源として支出している」と考える以上、
上記のような政策を採るのは間違いないと思います。

これまでもその主張の仕方としては「プライマリーバランス」
と言ってきましたが、論拠が批判され続けて使えなくなってきたので、
最近は「金利のある世界」と言い始めました。

いずれにせよ与党野党ともにトップが同じ認識の者同士となってしまった。
財政政策に対する選択肢のない状況、閉塞状況となってしまいました。。。

 

 

 

 

 

 

とりとめのない話し。


いわゆる「孤独死」というものについてのトピックスを読みました。

この記事のライターは孤独死をした人たちの主にブログなどの記述を収集し、
そこから孤独死の実態の一面を浮かび上がらせています。

孤独死には病気、突然死、自死など原因はさまざまですが、
絶望して自死したり、恨みつらみを抱いて病死したり、といった
孤独死とは悲惨で惨めなもの、と世間ではややもすれば語られる。

しかし、実際の孤独死をした人たちのブログには、
そこに悲壮感はなく、ときにユーモア交じりの記述さえあったりする。

彼の人たちが完全に淡々とした心境だったかどうかは分かりません。
しかし、孤独死というものはそんなに酷い、惨めな、哀れむべきもの、
というものではないように、この記事を読んで思いました。

というより再確認しました。

わたし自身がまごうことなき孤独死予備軍です。
家族・身寄りがありません。

しかし、独り、というものは寂しくもあるが気が楽でもあります。
独りでいることはそれなりに幸せを感じる部分もあります。

とはいえわたしなんぞは三毒が強く、そう簡単に逍遥として
最後を迎えられるものではないことは自覚しています。

だからそこのところでわたしの場合では仏教なのです。
しかしそれは仏教だから死んだら浄土に行く、などではありません。

そうではなくお釈迦さまのおっしゃる「無常」を、
蚤の金玉八つ割りほどであっても腹の底に落とし込むこと。

そのためには地道に地道にひたすら地道に精進すること。


災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬる時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
( 良寛 )



僅かでもここに到ることができれば孤独死も

さほどの事でもないように思っています。

 

 

( 橋本健二著 新・日本の階級社会 より )

 

 

 

 

新米や玉を炊ぐのおもひあり
落栗やしうとと孫の糧二日
唐茄子に一日は餓をいやしけり
( 勝海舟 氷川清話 )




与党野党の代表選挙が世を賑やかしています。

全ての政治家さんではありませんが、多くの、
そしてどちらかというと上の立場の議員さんは
より国民生活の実態というものを理解されていないように思います。

なにもカップ麺とかキャベツ一個の値段がどうのという、
矮小化された話ではないのです。

人間の暮らし、というものへの想像力が足らないのか。。。
いやそもそも、国民生活へ思いを致す、
そんな気ははじめから持ち合わせていないのかもしれません。


今回野党の方の代表選では昔の方々が二人出ています。
この二人、一応は労働者を票田とする政党の政治家たちですが、
「消費税減税は断固拒否!」と主張しています。
これだけ実質賃金の下落が続いている国において、
消費税減税をすれば(ほとんどの場合)物価は下がる。
物価が下がることで実質賃金上昇をもたらすことができる
消費税減税には頑なに反対しています。

どこがリベラルなのでしょうか。


今の日本は格差社会ですから少数派の貧困層はややもすると無視されるか、
もしくは「自己責任」の名のもと顧みられることはありません。

しかし少数派とはいえその割合は国民の1/6~1/7もいるのです。
貧困層は日々の食べ物にも難儀している。

ここに思いを馳せることのできない者は、
やはり為政者として政治家としてあるべきではないと強く思います。




 

 


 

 

 

 

 

先日友人電話で話していた際に自民党総裁選の話題になりました。

小泉進次郎氏が最有力の一人という報道を受けて、
二人して「この国は本当にいまおかしい」と嘆息しあいました。




(当時の小泉首相について問われ)

中曽根氏 「瞬間タッチ断言型」だって言って…
瞬間タッチで短い言葉をパッと言うだけだと。
それがパッと言って断言するから自信があるように見えると。
何か、奥に何かあるんだろうと想像を起こさせるけど
実際には何もないんだよね。


ないんですか?

ないね。体系もないし、そういう思想哲学があるとは見えない。

あんまり思想なさそうですよね。

ないよ、実際見てると…



息子さんは親父さん以上になにも無いように思えてなりません。

息子さんが首相になったら国民の、特にわたしのような
貧困層の暮らし向きはより一層圧迫されることになるでしょう。

たまったものではありません。


 

 

( 素材 by ぱくたそ )

 

 

 

 

スーパーでは相変わらず品切れ状態が続いていますが、
たまたま寄ったドラッグストアにて米を買うことができました。

棚には新米ではなく古米5キロの袋が3つだけあり、
「お一人様2つまで」となっていました。

もちろん買ったのは一袋だけです。

いや助かりました。

先日買ったパックご飯もあと一週間分ほどしかなく、
しかもネットでもどこにも在庫がなくて、
さてどうしたものかと思っていたところでした。

 

なによりパックご飯は自炊するよりも3倍くらい高いですし。

 

帰宅してすぐに神前に手を合わせました。
感謝感謝です。