ここ数年、フランスを中心に映画監督 足立正生の評価がすすんでいる。
原因として、近年フランスにおける日本映画の巨匠第一世代として、いわゆる黒澤、溝口、小津。同第二世代、大島、篠田、吉田のような作家達の評価の煮詰まりにあるのではないか。

そんな流れの中で、今年パリで若松孝二の作品が特集上映をされたのも偶然とは言えない。
話を戻すと、
足立といえば、かつての学生映画界の寵児である。また同時に、1971年にパレスチナに渡り、重信房子率いる連合赤軍に一兵卒として参加した、かつての“革命家”である。

そんな足立正生監督の作品が先月まで名古屋シネマテークで特集上映されていた。ラインナップは以下の通りだった。

「銀河系」
「性遊戯」
「略称・連続射殺魔」
「噴出祈願15才の売春婦」


スケジュール的に、全部を観ることは出来なかったが、とりわけ印象に残ったのは、「銀河系」であった。

風景論。「銀河系」という作品を論じるなかで、足立がたびたび言及し、物語のコアである、自分という人間に潜む自意識と他意識の永遠とも思える交差の“いま”を示すヒントがそこにあった。観るのにあたり、多少の我慢が必要となる作品だけに、表層上の人を観るのではなく、それ以外に示されたヒントないし暗喩の存在をより注意深く観る必要性を本作品から感じざるをえない。


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煩悩の如き、幻影

過去に好きだった女の子
憧れの女性
街で見とれたねーちゃん

僕は無意識のうちに、それらの幻影を追い求めている。
そして、ある行為を通して、その幻影を葬り去ることをしている。

皆さんは、どのような基準でアダルトビデオ(以後、AV)を借りますか?

僕は、上記に“似ている”という基準で借りる、いや買う。
AVの代表的な視聴スタイルとして、「最初のインタビュー→挿入→フィニッシュ(画面も自分も)」というのが一般的であると考えられる。

もう少し、説明を付け加えるならば、

最初のインタビューにて、顔、スタイル、初体験トークないしエロトーク、でチンチンのシンクロ率(以後、チンクロ率)を高め、挿入シーンまで画面を早送りし、様々な体位の応酬と男優と女優のキスしながら正常位でピークを迎える。

話を戻すと、僕は冒頭に挙げた例に“似ている”という基準でAVを借りる、いや買う。

それは、そのような女性で“ヌク”事により、過去の幻影を葬り去ることができる気がするからだ。
自分の満たされなかった想いが、股間の快楽と連動し、満たされたような錯覚を起こしてくれる。
それは、それでファクトとして、満たされていなくても、なぜか本質的には満たされているような気がする。
先週、i podが壊れた。

主に通勤用で使っていたデイリーなユースなモノだけに、無いと不便。もしくは、耳を塞ぐ行為に対して、寂しさを感じると思ったが、意外と困らない。
代わりとなる、ベッド用のtouchやジム用のshuffleを通勤用のピンチヒッターに回す必要もなさそう。

話は変わるが、最近イベントやライブに顔を出す。
やはり、生きてる音楽の臨場感やミキサーで変化させる重低音が心地いい。

次の日も、目を閉じると、不思議とヨミがえる音の感覚。

i podで音を聴くというスタイルに当分戻れないです。

そういえば、肝心のi podは、どんどん小型PC化していきますね。
当たり前のことでも、その行為から少し離れてしまうだけで

再度始める際、その行為との距離は、驚くほど遠くなってる。

1年でも、半年でも、その行為を必ず行う“保証”があるならば、

距離はほとんど変わらないのに。

そうです。

忙しくて、ブログも全然やってませんでした。

別に、人に見せるつもりで書いてないから、

これもあれもマスターベーションかもしれないけれども。

今日は

ルーティンワークと距離について、ずーと考えてました。

台風のおかげでね

さいきん

自分の発した言葉と行動に矛盾を感じてしまう。

1日に何回も。

営業などでハッタリをかまして、とことん自分を追い込むみたいな人がたまにいるけど

多くの人間がそんなに強い生き物だとは、到底思えない。

環境的な生き物、適応する生き物、社会的な生き物...

世間一般では、一流とよばれる会社に入社したひとが、1年目にして、辞める事実は、この病の末期症状なのかな。

このパラドックスに向き合うことが大人への階段だとしたら、

大人は哲学的なピエロですか
ルールの内容がグレーであっても、それを遵守しなければ、悪なのか。

正義とは、ルールを盲目的に守ることなのですか。

では、絶対的な正義とは、なんだろう。

答えは、やはり宗教の世界の“神”なのだろうか。

いや、それらの回答は、ニーチェが既にしたはず...

...

本日

警察との不毛な議論で費やした時間、2時間。

違反切符をポケットにしまい、帰路でずーとこんなことを考えていた。

ダンスミュージックのように、何回も反復して。




このmix、本当にかっこいいですよね。

キックの入れ方が最高。



匿名性

素性がバレなければ、人の倫理観は崩壊してしまうのか。

いわゆる、“叩き”や“炎上”という言葉をそれの象徴的な事象なのか。

そんなコトをチャットしながら考えてました。

結局そういうのって

案外ファシズムに近いのかも。

データとして、ネットユーザーの多くが潜在右翼的思想に陥りやすいというコトに関して、意外と納得出来るかも。


以下は、最近ハマってるインドネシアの低知能系ハッピーダンスミュージック。








まさかの中国語カバーww
幸せなことは目の前で少しずつ大きくなるが、不幸なことは自分の知らないところで成長し、急に姿を見せる。


と村上龍が言っていた。


その考え方に同調するつもりはないが、


ふと訪れた友人の不幸を聞くと


世の中の真理は、案外こうゆうことかもしれない。と思ってしまう。

1969年

体制派とか反体制派とか

ぼくたちが社会を動かせるという淡い幻想。を

感じてみたかった。

今更ながら、村上龍 69 を読んで

感じた。