こんばんは
( ゚∀゚)人(゚∀゚ )

いつも
ありがとう
ございます。
リブログさせて
頂きます。
南蔵院内住職
林覚乗師の
心に響く話しから
引用と
抜粋させて頂き
ます。

障害者の子供
を持つ
お母さんが
息子さんの
学校生活を支援し
支えてくれた
子供さん達に
感謝されて

「学校で習った勉強よりも、もっとすばらしいものをうちの子供は学んだ気がします」


亡くなった

同級生の葬式に

出席者

出来なかった

子供達が

その子供の

親に頼んで

霊柩車が学校の

前を通るように

してもらって

最後の

見送りした話し

を逸話を知り

どちらも

子供達の

心の優しさに

涙が出ました。


 

林師は

学校は子供たちに対して勉強より大事な本当の愛情を教えて欲しいものです。

と述べられています。



『人には情け、感動が必要である。・・・

人を動かすのは感動であり、情動である。』

 

『・・・

 情け深い人でなければ真に正しい人間にはなれない。

人間の最も本質的なものは理知ではなく心情なのである。』・・・

 

 『知と知、理と理では人は結ばれない。

 

人が結ばれるのは情と情、すなわち感応道交である。

感じて応じ合ってこそ道の交わりがある。』


人は、理屈や知識ではテコでも動かない。

 

「感動」という言葉があるように、感じるから動くのだ。


知識を詰め込み、頭を狂ったように磨き、有名大学へ入ったところで、情のない人間には一片の魅力もない。


南蔵院住職、林覚乗(かくじょう)氏の言われる

ように

 『皆さんが一本のろうそくのような人間になられて、回りの方を明るく照らしていきながら、そこから新しい人生を歩まれる。』

 

それが、私たちにとって今から必要になっていくのではなかろうかと思うのです。 


情がある人には、別れたあとに、また会いたいと思うような余韻が残る。

 生涯をかけて…

 

勉強よりもっとすばらしいものを、学び続ける人でありたい。


 月と水は無心で

向き合っているが

身の回りの

人間関係も

互いの何かを

映し映され

影響を受けあって

いる。


唯、人間は無心

無欲で付き合うの

は難しい

確かにそうだと

想います。


私は人間関係に

難さを感じる

事が良くあります。

要領が悪いから

でしょうか?


色々な思惑を

感じることも

あります。


人付き合いは時に

綺麗ごとでは

済まされない

ことがあります。


人に対して

感謝のない人


今だけ


金だけ


自分だけ


吐息を吐くように

嘘を吐き続ける人


平気で

人を貶める人


嫌気がして

疲れます。


例えば

世の中には

心の救いを求め

ある宗教を信仰

したが

その宗教に

利用されて

貶められている

事に気づかない


ほど洗脳され

家庭が崩壊


自分が

狂っている

のも気づかずに

子供に情けも

優しさもなく


その宗教の教え

にのみ

真理を求め従い

愚かな

馬鹿な親達は

子供を鞭で打ち

信仰に縛りつけ

自由を奪い


子供達が

恐怖と

血の涙を流して

いても

知らん顔でした。


子供は

親と宗教に

人生を狂わされ

たのです。



私も昔

自分の意思で

その宗教を信仰

していました。


間違った信仰に

より人間として

親としての道を

踏み外し

大切なものを

見失っていた

いた時期が

ありました。


離れたとは

言え、

責任は重いの

です。


話しが混合して

しまいました。



hiro-sanの

言われるように

時には失敗する

事も迷うことも

ありますが


人間として

大切なものを

学び続ける人で

ありたいです。


人には情け

優しさ

感動が必要だと

想いました。


今朝の海です

雲から月が姿を
見せました。

朝の月です。

今日は薄曇りの
日でした。