宮崎さんの
blogで長男の
事を思い
だし泣いた。
彼は小学校
から病院に
入院し
併設された
支援学校に
通っていた。
私としては
病弱養護学校
である為、
高校を卒業
すれば、
県立高校
を卒業した者
として認定される
そこに居て
欲しかった。
だが
担任の教師の
勧めと
また本人の
希望もあり
新潟県内の
養護学校に進む
事になった。
そこは、知的障害者
の学校であった。
入学式の日に
障害者の子らが
騒ぎ金切り声
を上げている。
仕方ないのだが
席を立ち動き
周り騒ぐ子供、
などもいる。
今までとの
環境の違いに
驚いた。
今までは、
病弱支援学校
と云う静な
環境にいた。
本人が望み
入学させたが
奇声などが
苦手な
彼にとって
耐えられる
環境なのか
入学式の
日に胸騒ぎを
感じた。
クラスは同じ
障害を持つ
子供の集まり
10人程の
生徒がいた。
担任は
ベテラン教師
だという
その点は安心
したのだが、
寮に入る事に
なった。
しかし
知的障害者
の子供さんとの
共同生活。
規制が厳しい
のだ。
心配事が
的中した。
彼にとって
知的障害者
の子供との
共同生活は
苦痛だった
のだ。
なぜなら
夜中に奇声を
出し騒ぐ子供達
が多く金切り声
いきなり部屋に
入り騒ぐ子もいる。
プライドが高い
面もある彼は
彼らを見下す
悪い癖もある。
幾度も
教え諭した。
ここに
いる限りは
逃れられない
事、障害に
対する理解を
持つ事を。
しかし
騒ぎ声が
苦手な彼には、
眠れない日々が
続いたのだ。
彼は馬鹿が
つくくらい
真面目な子で
礼儀正しい子で
よそ様に
良く褒められる
子である。
目上の人に
対する
言葉遣いも
私よりも遥かに
上品である。
ほんとうに
頑張っていた。
無理強いを
させずに
様子を観ていた
のだが
とうとう
学校生活
集団生活に
ついて
行けなくなり
ストレスで
次第に仲間と
小さなトラブルを
頻回に起こす
ようになってきた
そうだ。
担任からは
苦情ばかりの
報告を受ける。
学校では彼に対し
ての心の
ケアがなかった
ようだ。
ある日
職場に電話が
来て彼が、
自分の内服
薬を多量に
呑み眠った
ままで起きない。
迎えに来いと。
校医に観て
もらったら
異常は
ないらしが
病院にも
連れて行って
もらえず。
ほったらかしに
され眠っている
そうだ。
仕事を抜けだし
高速で1時間
掛かる町に
迎えに行った。
担任は姿を
現すことが
なく逃げている。
寮母と話して
今まで入院して
いた富山の
病院に片道
3時間以上
掛かるが
高速を走らせ
連れて行った。
病院では直ぐに
処置してもらい
入院となった。
怒りが込み
上げてきた。
しばらくし
学校から呼び
出しが来た。
もう、
学校を退校
するつもりで
向かった。
校長室では
教頭を初め
何人かの
教師に
色々と云われた。
酷い事に、
お宅の息子は
療育手帳を
持っておらず
知能指数も
高いのに
なぜ、この
学校に入った
のか?
本来なら
入れないはずだ。
と言いだした。
はぁ~
お前ら
何を言いだす
のだ。
入学を認めたのは
そちらではないか。
入学前に調査
しないで入学
させたのか。
確かに療育手帳
の申請をした時に
知能指数があり
質問の
受け答えも
しっかりして
いる。
だから取得
出来なかった
のは確かだ。
そうした事は
入学前に
そちらが
知らべて判断
するのでは
ないか。
悔しさと怒りが
込み上げてきた。
そして
学校を退校
する事を告げた。
校長は驚き
どうするのか
聴かれたが
そんなの
関係ないだろう
もう頼りたくない。
自分で
動く気持ちで
いたのだが、
手続きの関係
もあるので
富山の学校に
行き、事情を
話して
相談し向こうの
学校に
お願いして戻る
つもりである
事を告げた。
すると
手の平を返した
ように親切な
態度になった。
結局
なんだかんだと
もめたが
退校し富山に
戻ることが
できた。
向こうは
県立高校である
ために、1年
遅れの学年に
なったが
彼の病気を理解
してくれる
医師、先生が
いる自分の
居場所に戻り
高校生活を
過ごせたの
である。
あの時に
中等部の担任の
言われるまま、
本人の希望する
通りにしてしまった
ために起こった
悲劇は親である
私が、もっと
しっかりして
反対すれば
こんな辛い思い
を彼にさせずに
すんだかも
しれない。
自殺未遂まがい
の事を彼が
せずに済んだ
かもしれない。
そして、養護学校
の教師だからと
安心して信頼した
私の愚かさに
悔やみ
涙がでた。
例の担任は彼が
退校する日に
寮の荷物を
引き取りに来た
日に親切で
世話になった
先生方が多く
見送りしてくれた。
しかし担任
だけは校内に
いたのに姿を
見せなかった。
後に、
私は、学校に
対して担任に
対しての不満を
校長に伝えた。
学校側からの
謝罪があり転校
させた後に
校長や教頭
が様子を気に
かけて連絡を
くれる事が
幾度かあったが
担任からの
問い合わせは
いっさい
なかった。
いかに彼が
担任から嫌われ
邪見にされたのか
良く分かった。
学校の教師で
さえ、障害者の
子を理解できない
そして、
しようとも
しないのに
世間が理解する
のは難しいかも
しれない。
宮崎さんの話しに
出てくる
「馬鹿な子に
近づくと馬鹿が
移る。」
と我が子に言った
母親には腹が
立つが
障害者を理解
してもらう為に
行政や、学校の
働き掛けが
あったのだろうか。
それは「不可欠」
なのである。
懸命に働き掛け
をされている
いる方も多く
おられるが、
まだ、まだ、
現状は
程遠いで
あろうかと
思います。
おそらく、この
blogを読む方達
の中には
「良かった。
自分の
家の子供が、
孫が、馬鹿で
なくて
障害がなくて
良かった。
あの人は
可哀そうね。」
と嘲笑う人が多い
だろう。
親が馬鹿だから
子も馬鹿なのよ。
と云う人もいる。
恥を晒すなんて
同情されたいの。
と思う人がいるのも
知っている。
でも
あえて、私は投稿
伝えさせてもらう。
彼らも同じ人間
じゃないか。
そして、懸命に
生きているのだ。
例え、
誰が理解せずとも
その姿を親である
私達が観ている
のだ。
そして
育てるのに
どれだけの
苦悩と涙を
親は見えない
ところで流し
て来たのかは
同じ子を持つ
同士なら
わかる筈。
私に子は
あなた方より
最低で屑親に
に育てられた。
そんな親の子で
あるが懸命に
生きている。
自分が屑親で
ある事が
いかに
恥であるのか
分かっているが
子供は頑張って
生きているのだ。
まだ、互いに
これからも泣く事が
多いとおもいますが
仲間がいる事だけは
忘れないで欲しい
私も、そう
想い頑張ります。
可哀そうなのは
子供なのだから
親が寄り添い
一緒に歩こう。
