誰かとトラブルになって、憎しみや悪意にさらされていると感じたとき、憎み返さないのは難しいでしょう。


私を成長させるために罪を背負ってくれている。

 

そう考えてみると、感謝の気持ちさえ湧いてくるはずです。

 

人は、人がいないと学べません。

 

人とかかわる中で傷つき、悩み、切磋琢磨しながらでないと何も学べないのです。


「人のふり見て我がふり直せ」といいます。

 

人間は、他人の行動や、所作、言動などを見て、学ぶ生き物です。

 

自分のことは自分が一番わからないからです。

 

 誰かを、憎んだり、非難したり、おとしいれようとしたり、怒鳴ったりする人がいます。

 

すると、その人のもとには、「憎しみ」「非難」「陥(おとしい)れる」「怒鳴る」ということがブーメランのように返ってきます。


江原氏のいう通り、「マイナスの経験は必ず本人のもとへ還ってくる」からです。

いつも

ありがとうございます。



人間関係にトラブルは

つきものです。

避けられない。

長い人生、

相手を傷つけたり傷つけたられたり色んな事が

あります。


私は江原氏の言われる

「私を成長させるために罪を背負ってくれている。

 そう考えてみると、感謝の気持ちさえ湧いてくるはずです。」



人間関係で

散々な目に遇って

懲り懲りした

今の私には

とても、感謝は

ムリ、無理、むり

出来ない。


愚かで

人間として成長できて

いないのです。

( ´;゚;∀;゚;)


自分勝手で平気で嘘を

付き、異に沿わぬ相手に

暴言を吐き貶め入れる。


そんな人を

多く観ている。


自分の脇の甘さから

巻き込まれ火傷もした。


世の中には

人を貶め平気

な顔をして

善人ぶり生きて

いる人が多く

いるのを知って

いる。


吐き出す言葉が、

どこまで本当な

のか?

(人は誰でも

人に話せない

心に抱えている

闇や想いがある


自分自身の事も

分からないのに

相手を

理解しようと

するの出来ない。


例えば

もしかしたら、

自分に

コンプレックスが

あったり

心の寂しさから

自慢をしたり

する事で

注目されたい。

自信の無さから

それをする人

もいるのだろう


そう思うと

一概に

非難や憎んだり

腹を立てたり

しては

いけないと、

思いつつも

腹が立つ未熟な

自分がいるのだ。


そして自分も

知らずに

相手を傷つけて

いるかも知れない

それを忘れては

いけないと思う。)


世の中には

良く分からないが

自分程、幸せな者、

利口な者はいない

と本来の自分の

姿を晒しだす事なく

唯、自分が偉い

俺は偉いと

利口だと、

人に善意ある言葉を

言いながら

腹の中で見下して

蔑み自慢しまくる人

がいる。


人を導くものは

日々、神仏の教えを

学び続け真理を

追い求める必要が

あると思う。


しかし自惚れの

気持ちが高まり

いつの間にか

大切な学びを忘れ、


神より自分の

言葉の方が尊い

と自惚れて

虎の威を借るように

神の言葉の威を借り

寄付を寄越せ

もっと、もっと

寄越せ。


子供をムチしろ

従わせろ。

要求する宗教が

ある。


神は1円たりとも

寄付は要求

していません。


子供を虐待しろ

なんて言ってない

です。


どうして

地獄に落とし

いれて人を貶める

宗教を

その指導者を

許せるか?

🤔🤔🤔🤔🤔

難しい。

とても難しい。


そんな宗教より

そんな人よりも

世の中には

生きづらさや

困難に立ち向かい

日々

奮闘しながら

懸命に生きて

いる一般人の

方が多くいる

のです。


おかしな宗教や

聖書を知らなくても

常識がある人が

優しい人がいるの

です。


😵💨なんでも

かんでも、有りすぎて

この言葉のように感謝の

気持ちは到底出来ない。


それが、今の

私の正直な気持ち

です。


優しい人に

なりたいが、なれない


モヤモヤの気持ちが

抜けない自分を感じる。


しかし

感謝は難しいが

そこから

学ばせてもらって

いる事は確かです。


人の振り観て我が身

を直せ


ありがたいです。

ある面で、

成長させてもらえる

チャンスなのです。



因果応報、


良いことも

悪いことも、

自分の行いが、

地球をぐるりと

ひと周りして、

どれだけ

ブーメランのように

戻ってきただろうか

( ゚д゚)ハッ!


数えきれない

程あります。


宇宙の法則です。


平気で嘘を

ついて人を見下し

自分に酔いしれて

高笑いしている

人がいるが、


今は、そうでも

いつか自分撒いた

種を刈り取る日が

くるのです。


それを忘れては

いけない。


裁きは神の領域

なのである。


最近、江原氏の

サイトを読まない

ので分かりませんが

以前、サイトで、

江原氏が良く

言われていた

言葉があります。


人は研磨されるように

互いに

磨きかけられる


その言葉は

とても琴線に触れました。



感謝には、

自分にとって、

良いことばかり

してくれる人ばかりで

はなく、

自分にとって

憎まれ役となる人にも

感謝する気持ちが

大切である。


それを胸に留めて

しかし、

中々、難しい

課題だと今は

思うが、


いつか

ものの見方を

変えられる人、

そう思える

人に成長したい

ものです。