毛勝三山(けかちさんざん)は、富山県魚津市黒部市の間にある山岳群である。飛騨山脈立山連峰の北に連なり、毛勝山・釜谷山・猫又山で構成。この三山[2]は、片貝川源流でもある。高山植物ハイマツなどの植物も多い。山麓の雪渓の近くには、多くの山菜が自生している。

この山を観ると

ある事を思い出す

のです。


毛勝三山に連なる

僧ケ岳です


僧ヶ岳(そうがだけ)は、富山県魚津市黒部市にまたがる標高1,855 mの山。飛騨山脈(北アルプス)立山連峰の北端にある。二級水系片貝川の支流である布施川(ふせがわ)の源流である。

四季折々に
美しい山です。



しかし
私達が絶対に
忘れては
いけない
オウム真理教
の被害者、
坂本堤弁護士一家
殺害事件で
無残な姿
にされた
坂本弁護士
の夫人が
遥か遠い
この地で
発見された
のです。

坂本堤弁護士一家殺害事件は、1989年11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士であった坂本堤とその妻子合わせて3人を殺害した事件である。 坂本弁護士の妻が遺体で発見された場所は、新潟県と富山県の県境付近である林道別又僧ヶ岳線の魚津市別又谷の上り口から数kmの地点の山中であった[注釈 6]。発見場所[注釈 7]には遺族が木製の慰霊碑を建て、慰霊登山も執り行われている[注釈 8]


当時、

私はこの美しい

山々が遥かに見える

場所に住んで

いました。


朝、新聞配達を

していた。

ある

冬で雪の降る日、

夜明け前

自宅を出ると

薄暗闇だが

目の前に

白く雪を被った

この山々が

連なっている

姿が見えた。


人が眠っている

時間帯、

自分ひとりだけ


朝の冷たい

空気の中に

見える灰色の

空の下に

聳え立つ山の

姿に

ふと、寂しさと、

不思議な美しさ

神々しさを感じた。


当時は

地下鉄サリン事件

など、なにかと、

世間を騒がす

オウム真理教の

話題で連日、

ワイドショーは

賑わっていた。


この宗教に対する

異常さや憎しみ

そして

犠牲者の方々

残された

家族の方々の

無念な

思いを知り

悲しみを

感じていた。


そして

自分の信仰する

宗教が清らかで

後に来る

ハルマゲドンに

より地上は楽園

となり

この事件の

犠牲者も含めて

だが亡くなった

人々の復活がある

それを信じていた頃

だった。


信仰する人々は

この宗教こそが

真理であると

自信満々に口に

するのだ。


褒め称える言葉を

聴かされ続けられ

ると、

その気に

させられ、

思い込む

自分のがいた。


恐ろしい

ものである。


後に夫人が

山の山中に

居る事が報道され

自分も含めてだが、

地元では

驚きを隠せなかった。

夫人を探す日、


確か、

地元のテレビ局

だと思うが、

朝からずっと

捜索の中継が

続いていた。


報道関係だと

思うが

ヘリコプター

が山に向かうの

であろう、

煩く飛んでいた。


ご遺体を見つけ

た後に

検視を終えて

魚津高速インター

から東京にお連れ

する様子が中継

された。


沿道沿いには

多くの人々が

見送りに来られ

手を併せて

居る姿が見えた。

堪らなく

涙が止まら

なかった。


坂本弁護士一家

そして地下鉄

サリン事件の

犠牲者、

この宗教に

巻き込まれて

犠牲になられた

方々のご冥福を

お祈りします。




オウムの恐ろしさ

は知っていたが

これ程まで

慈悲の心なく

自分勝手な欲望

に満ち溢れた

宗教はないと

思った。


擁護するのでは

ないが

殺人を犯した

人達の中には

全てではないが

この宗教に洗脳

されるまでは

人柄が良い人

ばかりだったと

聴いた事がある。


あれこれと

思う事を綴りたいが

🌀😱混乱も出て来る


自分の考えなの

で異に添わない

部分もあるの

ご了承、

勘弁願いたい。


生きるのは

辛い、なにかに

すがりたい

誰かに助けて

もらいた。

心の平安が欲しい。


神仏を信じている


人、それぞれに

思いは違うし

考え方も違う

だから

そうですとは

言えないのだが、


ホンの少しの

心の隙を狙い

言葉巧みに信者を

獲得する

カルト宗教

が数々あるのは

事実だ。


オウムのように

恐ろしい

殺人を犯さない

が、人の人生を

狂わせて破滅に

追い込む宗教が

ある。


手に掛けないが

言葉と言う武器を

使い。


精神的に追い詰め

て多くの信者を自死

させる宗教がある。


これは

別の意味での

殺人だと思う。


信じる者は

救われる


言葉巧みに

洗脳されて

信じ込まされ


冷静さを失い

考えたら

(-ω- ?)疑問が

涌き出る

で、あろうが、

教理に溺れて

判断力も失う。


自分の世界で、

信じている

本人は幸せだろう

だが、

巻き込まれる

家族や知人まで

不孝にしてして

しまうのだ。


それすらも

分からず盲目に

なっている。


一番の犠牲者は、

何も知らない

判断力も付かない

自分の幼い子供

なのだ。


親の信じる宗教を

強要させて

逆らったり


異に添わない

信仰する神の名を

口に出して

威して

徹底に鞭打ちする


自分の所有物

として自由を

赦さず

がんじがらめに

して精神が病む

程、追い詰め

子供の自由意思を

認めない宗教がある。


私も宗教で大失敗

自分の子(娘)に対し

過ちを犯した。


嫌になり離れて

第三者のような

存在になったが

後悔の気持ちや

自分の愚かさに

今も

嘆いている。


当時は、ネットは

極一部に広まって

いたが、今程に

情報がはいらない

時代だった、

離れて、

こうしてて、


今改めて

知らなかった

事実がわかり


叩かれ

汚い

埃がでる姿に

驚いた。


ネットで

色々と知る事が

出来て感謝して

いる。


(しかし

ネットの

世界は情報が、

あまりにも多く

顔も知らない

人の集まりで

ある。


本当の姿を

知るのは難しい。


見極めが必要だと

感じているが、

難しい。


例えば

流される情報、

ネットを通して

知り会った人

個人的に知った

人の中には

偽善者や嘘つき

がいた。


平気な顔をして

嘘をついて

上手い言葉を

巧みに使い宗教や

病気で心が

傷付いた人に

寄り添う振りを

しながら

騙して良い人に

なり済まして

いる人もいる


罪のない人を

寄ってたかって

貶める人達も

いるのだ。)


良いことも

悪いことも

全てを含め

因果応報は

必ずあるのだ。


私は不器用で

愚かな者では、

あるが、それを

信じています。


人生は

いつも順調な時

ばかりではなく

時は大失敗する

事もある。


そんな時に

そこで気付き

良い方向に

自分を向けたい

と思っています。


それを

色んな思いが

邪魔する事も

あるけど、

上手く行かない

事もあるけど、


それを忘れては

いけないと

いつも思って

いるのです。


そして

おかげさまと

感謝の気持ちを

忘れず、

持ち続けます。


長々と綴り

すいません。

ありがとう

ございます。🙏


画像や文章の引用は

ネットから

お借りしました。