昨日は
大好きな奈緒ちゃんとごはん⁎ˇ◡ˇ⁎✩⃛
私は3歳から15年間、クラッシックバレエを習っていたんですが
奈緒ちゃんは7歳の時、松山バレエ学校で出逢って、人生で初めて出来た心友です♡ᵕ̈*
奈緒ちゃんは、小学校6年生のときに愛媛に引っ越してしまったのだけど..
当時携帯を持っていなかった私たちはずっと文通していました⁎ˇ◡ˇ⁎✩⃛
大人になってからは、
奈緒ちゃんは、海外で日本語講師をいていたため、上海やブルガリアなど、移り住んでいて数年帰ってこなかったのでなかなか逢える時間がなかったのだけど...
最近、小学校の頃私たちが出逢ったこの地元に奈緒ちゃんが帰ってきて住み始めたのです(⁎˃ᴗ˂⁎)!!
本当に話が尽きず。
なんでも話せる一生大切な大心友です(⁎˃ᴗ˂⁎)
そんな奈緒ちゃんは、
ここ東京で、学校に通え無い多国籍の子供たちを相手に日本語を教える仕事をしています✩*¨̮
話を聞くと、
中学で義務教育が終わった外国人の子供たちはさまざまな理由から、高校に進学せずニートの状態になっているとのこと
アフリカ、中東、アジア、南米、本当に色んな国の子供たちが、この東京で。。。
受験もできず学校に進学できない、日本語が話せないから外で働くこともできない。
それでも奈緒ちゃんの教えている
学童のような"居場所"日本語教室に対する助成金は以前は出ていて無料で通えてたのだけど、
今では支援も打ち切りになって、子供達も通うのが厳しいというのが現状。
外国に帰れもしない、
日本での永住権はあるけれど日本語は話せない、
学校では馴染め無い、
インタナショナルスククールなど通うお金は無い
こういう未成年が放置状態にあるそう。
奈緒ちゃんは神戸とか他の地方でも日本語を教えていたので、つぶやくように
マイノリティに対する東京の制度は冷たいよ..
言っていました。
この話を聞きながら、
これからの未来もっともっとインターナショナル化してゆく東京だからこそ、
これは雨水の最初の一滴に過ぎないなって思った。
日本の将来の大きな問題がそこにあるような...
同時に、私自身もマイノリティだけれども、小中高大と民族学校に通えたことに感謝しました。
勉強という意味ではなく、「居場所」があったことに。。。
奈緒ちゃんに対して感じたことは、
私は小さい頃、東京に住みながらも「日本の社会」は別世界の意識だったので、
6歳から名前も使い分け、二つの自分を常に感じていました。
唯一、日本の社会での居場所は「バレエ教室」だったし、その居場所で本当に大好きで楽しく幸せで...そう過ごせたのは先生と周りの友達、
特に奈緒ちゃんという心友がいてくれたおかげ。
本当に嫌な思い出も無く、無邪気な子供時代を過ごせたなぁ。。。と感謝しました。
その奈緒ちゃんが、いまでも子供たちに対して「居場所創り」をしているんだと思うと本当に嬉しいし誇らしい気持ちでいっぱいでした。
マイノリティな子供達にとってもそういう場所が見つかることを願って。
そして心友の奈緒ちゃんを心から尊敬していますପ✩⃛ଓ
昨日はほんと何時間も話しまくって、
最後は台風の大雨にずぶ濡れになって帰ったけど良い夜だったので爽快でした
笑
![雨](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/021.gif)
奈緒ちゃんがブルガリアからのお土産をくれました:)
ブルガリアのお母さんたちを支援する商品です。
かわいー♡ᵕ̈*
あと、3年前奈緒ちゃんがブルガリアに行く前に、バラヨーグルトのクリームおすすめだよ!と私が言ったことを覚えていたみたいで、
買ってきてくれていました(⸝⸝•_•⸝⸝)