人間の生の原点に意識を向ければ普通に感じ取れることだが、人間は、肉食ではない。それによって維持される本来というものも、そこには無い。

人間としての生を手にした、一生命としてのそれぞれの存在。どこを通り、どこへ行こうとしているのか…。体をつくる食ほど、思考発で有ってはならず、そういうものだから…の発想も、そこでは通用しない。

 

数の力で正しさがつくられるという、その実とても危うい、そこでのその本質・本性の在り様。その力が鈍感と不健全に支えられているとしても、力は力。健全さを普通とする違和感(敏感)の類は、それによって、居場所を消去される。

その数の力で拡まった、微生物の次元を混乱させる、無生命化の光(LED)。多数の感性の無さに守られたそれは、すでに未来に向けての、巨大過ぎる負の原因となる。その原因(の性質)に反応するという、人としての何でもない普通を改めて思う。

 

自然界の自然な空間には存在しない、黒。唯一そうである時というのは、それが消滅や衰退の象徴として形となる時。動植物たちが不自然にその命を終えざるを得なくなる状況の中、そこに、黒は生まれる。

その黒が執拗に好まれ、全身を黒一色で装う人が増えるというのは、ただただ異様でしかない。その理由を覗けば、自然界に対する不自然さの具現という、おかしな欲がうごめく。地球に生きる人間にとって、空間の流れを滞らせて変化を止める黒に、思い入れを抱くことはあり得ない。