最初に時間は有って、動物や魚、人間それぞれのその個性ある生態に応じた特有の時間が、そこで生み出される。ということは、彼らみんなが経験する睡眠という時間には、時間のつくり手の意思が大きく関わっているということになる。そして、時間の中でも、睡眠時のそれは、単に睡眠のための時間としては扱えないものであることが分かる。

 

食物を摂る時のスタイルやそのペースには、その人なりの個性が有っても良いはずなのだが、それを許さない、熱いうちに食べないと(熱くないと)美味しさを覚えられないという本当のところは美味しくないのでは…の食物が実に多いために、人は、いつのまにか、食で病んでしまうという現実に鈍感になってしまった。時に、食の普通が、普通の食ではないことを知る。

 

いろいろな経験をしても、大切なことを何度教えられ、学んでも、変わらないのが、その人の内なる性分。なのだが、お金や地位を手にすると、性分が??でも、世はその人を認めて(許して)しまうという、実におかしな気質を人は備える。つまり、見た目が良ければ、中身などどうでもいいというのが、世の人間の共通の性分であるということ。多数の論理が、そもそも問題(低次)であるということ。

 

差別心が無いことが、優しさであり、優越心や支配欲の無い姿勢が、思いやりとなる。二者択一的思考が根強くそこに有れば、その人は、永遠に優しさを経験できず、個人の都合に結果が付き合わされれば、人を思いやっても、それは偽善となる。他者にではなく、あたり前に自分に正直で居るから、優しさも思いやりも、それに付き添おうとする。