横浜重戦車工廠(仮設) with くだまき亭

横浜重戦車工廠(仮設) with くだまき亭

知恵と工夫と、勇気と希望。 それだけあれば充分さ。

平成21年1月、宿舎としてくだまき亭設営。 来たれ戦闘工兵の諸君!

 もはや21世紀には絶滅種として知られる『重戦車』専門の工廠です。 『大艦巨砲主義』は仲間です。


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公開日ずらしたのでネタバレた分大丈夫?

 かねてから噂にはきいていた「DisGOONie」 AND ENDRESSの西田大輔氏が自身のオリジナル作品再演、いや、あらためて問い直す作品群と理解しています。

 『From Three Sons of Mama Fratelli』と銘打たれた三作品同時上演、そのうち「GOOD-BYE-JOURNYE

」と「SECOND CHILDREN」を見るコトが出来ました。

 特に注目していたのが平賀源内の物語である「SECOND CHILDREN」である。

 

 西田作品(含む原作あり)でも役者さんの殺陣はひとつの見所になる場合が多いけど、流石に平賀源内マワリではそういった見せ場はあんまり作れないかと思いきや、捕り物(イメージ)シーンで叛骨のヒトとして獄死したとされる源内らしいっちゃらしいんですよね。

 

 それはさておき一種の異能のヒト平賀源内とはたぶん見るもの、見えるものが違うんですよ、俗人とは。 そして見えないまでもそれに共感できる玄白をワトソン役としてして構成する。

 今回語り手としての杉田玄白を西田大輔氏が演じるのは本当に楽しかったと思います。

 

 結局史実では源内は妻帯していないとのことだが、本編中では妻子がいる、そしてその周辺の人物達のなかにも死者から造られた人物(人形)が・・・、「えれきてる」という呪文で造られた人形もその他の人物も源内の見えている世界は見えない。ここで源内の視点からすると人も人形も等価であり、孤高、あるいは地獄の住人である平賀源内。

 

 ここで荻野崇という役者さんの持つ特性が遺憾なく発揮されてとても魅力的な二時間強の空間が描き出されてます。もちろん周囲を固めるキャストさんたちの存在も消えてしまうわけではなく、飄々とした優しさ、無常でありながら愉快なハーフボイルドな口当たりがとてもとても心地よく異世界に連れて行ってくれる、その予感は的中しました。

 

 おもえば荻野さん、バディモノが良く似合う、それも対等な相棒ということではなく、報告者としての相棒。ワトスン役がいてよりその風に吹かれやすくなるような気がします。

 

 たしかに「SECOND CHILDREN」作・西田大輔、主演・荻野崇で完成したと言っても過言ではないとおもうのです。

 

 

 *久しぶりに全体に公開してみました。(2017/06/30)

 

 

 

 

 

 

 某音楽隊が参加されていることもあり、ちょっと空いた時間に新橋まで。

 

 「嵐が丘」って基本的に悲劇那ハズなのだけれど、演出のG2さんの趣向もあり(?)登場人物がみなそれなりに逞しく、印象としては「元気な悲劇」といったところでしょうか。

 

 主演の堀北さんに引きづられるようにヒースクリフの山本さんもちょっぴり時代がかかった台詞回しも、基本的に階級差が理解できない現代日本において梶原一騎的なスペクタクル・ヒューマンドラマとして受け取りましたがいかがなものでしょうか?

 

 戸田恵子さんを語り手に使う発想は時代を重複させて想いの深さを改めて感じさせる、2時間強のお芝居としてはコンパクトにまとまっていて面白さを感じました。

 

 

 

 両国は国技館とは反対方向にしばし歩くと「シアターX(カイ)」初見参。

 

 オフィス・エンドレスの2012年公演の再演とありますが、あえて予習は最低限、GW明けに2幕3時間ちょっとの大作、はたして食べきれるか・・・?

 

 「東海道四谷怪談」と「仮名手本忠臣蔵」の関係は鶴屋南北得意の怪談物と「忠臣蔵」のコンビネーションから生み出されたものであるといっても過言ではないが、ここに2002年に発覚した「監禁殺人事件」が絡んでくるとなると、もはやどのように解釈してよいものか、

 

 シアターX自体は360度客席にメインの花道以外の通路も積極的に利用して、青山円形劇場亡き今、一番ダイナミックに演じられる劇場であるかもしれない。

 とにかくキャストが入り乱れて、時の小走りに、時に静かな足音を立てて、一言で言えば【幽玄】な世界を創り上げている。

 舞台上には汎用のボックスがいくつか置かれているだけであるが、その上には囲われた人体のオブジェがピンスポットを当てられて眼を惹こうとしている。

 そう360度客席なのでこちらの面に向いていない役者さんの台詞が一部聞き取れないコトもあるが、そういった場面でも対面では物語が進行しているのである意味とてもリアルでありかつ演劇的なのかもしれません。 アフタートークで本日の担当振られた佐久間氏が、「私が邪魔になってしまった席のお客様、ゴメンナサイ。 また別の日に違う席で見えなかったシーンお楽しみください。」と言うと場内は静かな笑いに包まれたりしました。 

 

 と周辺状況はこのくらいで、物語は現代と元禄年間をめまぐるしく行ったり来たり、ほぼ全員が胸に化物のような異物を抱えつつ、ときに20世紀を、着物を羽織れば元禄時代と、役柄、状況をモザイクのようにちりばめつつ、穏やかなシーンのからいきなり不穏な展開とか、ともすれば現在の舞台上がとの筋なのかあえて混乱させる演出も、個人的な印象ですが、監禁殺人事件を東海道四谷怪談に埋め込んでしまうことで、フィクションとしての再話、虚構化してしまおうかと試みなのかも知れないと思いました。


 「忠臣蔵」自体も史実として赤穂浪士による吉良邸襲撃、50人足らずで老人一人を斬首すると行った血なまぐさい事件も、当時の世相から芝居(浄瑠璃)と言うフィルター越しに庶民(世間)の娯楽の中に飲み込んでゆく、そんな機能、役割を演劇と言うものは果たしてきたのかとも改めて思えます。

 

 一種の鎮魂儀礼としての「四谷怪談」をひも解いてみると、特定の誰かの意思で惨劇が始まるのか・・・、いや、そこにあるのは穏やかとも言える感情ばかり、だれかの意志が働いていたとしても、劇中での少女Aが脱出してきて事件が浮かび上がったもののそれまでに繰り広げられた一種の洗脳状態でくりひろげられたありふれた惨劇。

 

 一部報道からも想像に難くないが、肉体的な暴力、それ以上に言語による征服される精神、やっぱりソシオパス(だと推測する)人物を描写すること、演じることは多大なる負荷が必要ではなかろうか?

 共感、論理、その全てにおいて成立しない状態で社会的な生活を送ることはもちろん困難で、世界をどんどん限定された領域に縮小してゆく。

 

 しかし、これが上演される演劇だとするとどうだろう、現実の事件は限られた空間(劇場)と決められた約束(脚本)に従い、あくまで虚構として俳優達のペルソナとして表現される。

 「忠臣蔵」も「東海道四谷怪談」も「監禁殺人事件」もみな均しく演劇の元に合流し虚実として過ぎ去ってゆく、ある意味、浄化である。

 観客としてはそのカタルシス(浄化)の裏側まで想像しなくてもいいのだけれど、想像していけないことではないだろう。

 

 以上、気になった俳優達については後日追記するかもしれません。

 


 

 

 

 ENGEKI GENEの旗揚げ公演である 「龍馬奇譚」観覧。

 

 主宰の北村泰助さんは高知県(土佐)のご出身とか、坂本龍馬、幕末を取り上げられるのだけど、その舞台はちょっと変わってる。

 

 土佐藩、脱藩の時期の一夜、すでに二度の江戸遊学でだいぶ梅太郎の見識は広がっているのだろうけど、ここまで自由な人だったかは定かではないが、高橋和久さん演じる才谷梅太郎(龍馬)はすでに完成した見識を持っている。相方の沢村惣之助(演・北村泰助さん)とともに対立する二つの村の因縁に巻き込まれてゆく・・・、

 

 典型的な西部劇の情景にも思えますが、土佐特有の上士、下士の対立は関が原以来ですけど、思えば明治維新も関が原以降の毛利(長州藩)島津(薩摩藩)の復権的な意味合いもあったのかなぁ。

 

 そこに関わってくる人物達はそれぞれ思惑を抱えていますが、結果、自分のためでは他人(ヒト)のために行動しているので、見終わった後の印象はとても爽やかで根っからの悪人は一人もいない気持ちの良い舞台でした。

 

 村の顔役や手下の面々、武士としての地位に縛られ、男達は翻弄され、女達は・・・けっこうしたたか。(笑)このあたりの性格形成も見事なものでした。

 

 家族、血縁にこだわりつつも非常にリベラルな風が吹いていた二時間でした。

 

 

 

 

 「江古田のガールズ」の『春、さよならは言わない。』を下北沢小劇場で。


 前作の「解散」も本多劇場で拝見しましたが、今回はキャスト9人でがっちり作りこんで・・・、と言うには若干の違和感、伏線があったんですけど、二時間半の作品を二時間に再構成しているそうなので納得と言えば納得。

 もっとも、そういった意味ではきっちりと作り込まれてる作品も好きなんですけど、それ以上の面白さがあれば細部の齟齬なんて気にもしません。


 アメリカのカントリーとフランスのシャンソンは陰湿でドーデもいいコトをドーデもよく歌うものだという先入観があるのだけれど、まんざら間違ってもいなく、そんなシャンソンでミュージカル・・・この時点でもう企画は大成功、なにやっても許されるんでしょう。


 とある地方の高校、シャンソン部のOBが学校に集まって卒業式に埋めたタイムカプセルを掘り出そうする、たった一年で。

 タイムカプセルと言うよりはタイムマシーンにのせてシャンソン部結成から現在にいたるほぼ二年間の出来事がいったり来たり、基本青臭い恋愛物語(どこかオカシイ)なんだけど、青春ってこんなものなのだと再確認しました。

 

 再確認と言っても、私自身の経験しなかった青春。 誰かを好きになると本当にその人しか見えなくなるのが恋愛だとすれば、この人!!って存在にめぐり合わなかった私にとってはもうね、A子さんも好きだけど、B,、C子さんもいいなぁ、って恋多すぎた私にとっては眩しい位にまっすぐな恋に落ちたタチバナくん、その理由なき気持ちはもうすがすがしくらいです。主宰・作・演出の山崎さんがモデルなんだそうですね。

 

 そして可愛いんだか可愛くないいんだかよくわからないカオルさん、うん、可愛いときと男前でワケありなときがあっただけなんだね。よかったです。  あっ、美少女と思わせぶりなまま唐突に豹変する井端珠里さん。 お目当てにしていてよかったぁ。

 もちろんキャストの皆さんそれぞれキチンと歌える方ばかりでしたが、学生時代のクライマックス、文化祭でのカオルさんの独唱、登場からして凄かったです、搬入口からの乱入、原語で唄う「愛の賛歌」なんと大げさな・・・っておそらくこれは一方通行の愛、駆け引きも何も無い心情の吐露だから、まだ恋人未満の二人のための唄なのかもしれないなぁ。

 と思いつつ、別離の刻が近づいていても、さよならは言わない、言えなかったホロ苦さが歳をとるということなのかもしれません。

 

 おもしろく、やがて悲しき、シャンソンかな。

 

 

 

 もろもろあり予定が立ってなかったんですが、新宿-浅草橋-吉祥寺と中央線ヨーヨー。 浅草橋はあまりの行列で挫折したけど、なんとか吉祥寺に滑り込み当日券セーフ。

 

 といいつつ唯一の「乱痴気」配役シャッフルのステージなんで感想も何もあったもんじゃないかもしれない? 7尽くしのお芝居で、基本的にはリチャード三世以外は残りの6人が場面に応じて切り分ける。

 

 女体シェイクスピアの女性が演じる男性、女性がより中性的にみえたのはシャッフルのためだけではなさそうですね。

 

 アフタートークで中屋敷さんがおっしゃってましたが、体格的に一番華奢な八坂さん(オリジナルは王妃役)をリチャード三世にしてみると、未成熟部分、俗に言う中二病的なリチャード三世、悪逆非道の限りを尽くす・・・んだけど、精神的に小物感いっぱいでこういう解釈もありだな。

 

 個人的には岡田あがささんのバッキンガム公、戴冠式のシーンがなんとも言えずツボに入りました。(笑)

 

 とにかく背骨(バックボーン)がしっかりとした、柿食う客の女体シェイクスピアは侮れない!!

 

 

 Blue Note TOKYO 4公演の最後の部。

 

 今回もプラチナチケットだから抽選からの当選1公演で満タン。

 

 ブルーノートなんで選曲もホールやライヴハウスとは一味違う。 極初期の曲や活動停止直前のシングルとかレア・トラックをもってきました・・・が客席のノリはどこも同じ・・・か。 まぁ、注目されたいとか気持ちはわからいでもないが、やっぱり暗黙のオヤクソク的はやっぱりわからない客層なんだろうなぁ。

 

 クラブ・ミュージックは基本的に一連の打ち込みだから、技術的にアンコールは無理だとか、よもや、ブルーノートで名前コールが沸くとはね。 お行儀が良くなくちゃとかいわないが、もうすこしオールジャンルの楽しみ方をする度量があってもいいんじゃないかと思わざるおえない。

 

 と愚痴るくらい森高千里さんのジャンル横断力はすごい!!

 

 ライヴハウス(が原点だとおもうんだけど)、ホール、アリーナ、クラブ、ジャズクラブ、あらゆる場所でのパフォーマンスの冴えはね、一個人=一ジャンル。 ボブ・ディランを彷彿とさせる、かもしれない。

 

 正確にはジャズクラブとはいい難いが、一昨年の丸の内Cotton Culbの公演より更に錬りこまれてはいるけども、従来のファン層を置いてきぼりにしない程度のバランス。

 ただ、今回もおそらく観客の90%以上にとって会場になってるんだろうことは容易に想像がつく。

 

 このアグレッシブさが彼女らしいと言えばもうその通りとしかいいようがない。

 

 産休、育児休暇からの復帰直後は、流石にブランクを感じさせる部分も多々ありましたが、もうほぼコンディションは整った・・・、すくなくとも私の見たステージでは若干高音部に問題はあったみたいだけど、これがフィジカルなものかどうかは今後の様子見ですね。表現力に関しては間違いなくレジェンド。(笑)

 

 いや、一曲目に1stアルバムの曲を盛ってくる(盛る、で正解)ところは、あの当時のちょっと背伸びした感じは失われてしまったけど、それはレコードの中に封印されているので無問題。 重ねた月日が豊かさを運んできていることは間違いない。

 

 また、休業直前のシングル曲はほとんどライヴで唄う機会すらなかった、いわばお蔵入りに近い状態でしたが、おっとどっこいこれはこれで時代をさ気取っていたんだなぁ、と女性シンガー全盛の昨今の曲に混じってもなんら不思議でない完成度だ。

 

 昨年、再発された「古今東西ライヴ」でも唄われていた「バスターズブルース」、あれ?今気が付いたけど、ブルースと銘打ってる、明らかにジャズ・ナンバー、(のオヤクソクがてんこ盛り)なのは歌詞の内容もさることながら、もう遊び心が明後日の方向に立っていていた時代の曲だなぁ。

 あえてこれをBlue Noteで演っちゃうこと自体が一種の挑戦だ。

 

 こんかいあえて客席の状況にもちょっとだけ言及してしまったが、これは森高千里というヒトは人であって人でない、アーティストとしてはその瞬間瞬間もさることながら、大河小説の如く一連の現象を抑えておきたいなぁ、と再確認したステージだからである。

 彼女とほぼ同時代を生きている者の宿命にも似たような絶望感を楽しみながらキーボードを叩いている。

 

 こんどは何をやらかしてくれるのか、恐怖と恍惚、我にアリ。(爆!!)

 


 

 

 雨の下北沢は、傘をささずに本多劇場へ。

 

 すっかり本多劇場の常連となった劇団鹿殺し、しばしの休憩を挟んでの再起動に「ベルゼブブ兄弟」(未見)を「ランドスライドワールド」として仕立て直したらしいので、かわっったのか、わかっていないのか、かわらざるおえなかったのか、まずはその空気はなんら変わってないようだ。

 

 結果、英国調の悲劇があくまでどろくさく、コドモじみていて、ココロの襞をえぐりこむ。

 

 そんな印象でした。

 

 相変わらず、ダメでどうしようもない男たち(兄弟)が繰り広げる、季節はずれの台風直撃の一夜、通夜の最中に死者は蘇る。      

 

 このシチュエーションは鹿殺しで何度も繰り替えされるモチーフだが、生者と死者の境は存在せず、皆生きていると同時に死んでいる。

 

 もはや死ぬことも生きることも失われた混沌の空間に取り残された観客の目にはもやもやした感情の残滓が残るけど、おさらばさえも人生さ。

 

 飛込みだったんでかなり後方の席でしたが、やたら元気な役者さんも、そうでない役者さんも、楽団のみなさんも、なにもかもみな懐かしく・・・ない!!(笑)

 

                                                                               

 

 西平風香サン、劇団マツモトカズミ、奇しくも初舞台、旗揚げ公演を観ていますが、つかこうへい作品にこういう形でかかわってくるとは意外ではあります。

 

 劇団マツモトカズミ、自身は俗に言う「小劇場」「学生演劇」とはルーツが違うちょっとクセのあるお芝居を創ってるので注目はしてましたが、「熱海殺人事件」のトライアルが是に成るとは想像もしてませんでした。

 

 キャスト陣の顔ぶれを観てもフィジカル面が重視かなぁ、などと思いつつ、TV放映での「幕末純情伝」しか見ていないのでまずはお手並み拝見といったところですか。

 

 正直、つか色が濃くて、ある意味脚本に忠実ナノだけど、殺陣をはじめとするアクションと独白的な台詞回しが未消化に思える部分がザンネン。 メインのキャストたちはそれぞれの個性は出せているものの、二日目にしてもまだ錬り足りないのか、それとも演出の個性なのか・・もっと弾けた「新・幕末純情伝」でいて欲しかったのは事実。

 

 つかこうへい氏にとって昭和20年はやはり切り離せない思いがあるようで、氏自身は学生運動などを通して戦後を生きてゆくのだが、「戦争で死ねなかったおとうさんのために」が初体験だった私には戦後民主主義に対する理想と挫折が色濃く出ているのが「幕末純情伝」であり、これらの暗喩が十分に生かしきれていないのもザンネンかな。

 

 ただ、粋のいい役者さんたちの汗と息遣いは全篇通じてエキサイティングであり、観に行くだけの価値はあったと思います。

 

 西平=沖田の真紅の衣装もよりアクティブで、眼に鮮やか、こだけでも満腹でしたけどね。

 

 

 急遽4人となった「9nine MAGICAL TOUR 2014 COUNTDOWN」が2014年のしめくくり。 

 もっとも、地下鉄終夜運転なので帰宅の足は大丈夫なはず。

 

 「MAGICAL TOUR 2014 」自体は初日の渋谷公会堂で拝見してるので、だいぶ「MAGI9 PLAYLAND」の曲も馴染んできたかな、との思い半分。ヤッパリ盛り上がるのは初期シングルか・・・。

 

 よくも悪くもヴァリエーションに富んだセットリストは結成9年目のキャリアをカンジさせますね。もっとも第一期の頃は各員のキャラが曲だけでは際立ってなく、第二期のメンバーになってから箱に足を運ぶ気になった。(それ以外にも理由はあるけど、) そういった意味では歴史的にも現在進行形でオオトリが「Cross Over」だったのは当然かもしれない。エレクトロも否定はしないが、半分くらいは生バンドいれて演って欲しい曲も多いんだよなぁ。