今朝、東京で大切な友人に会うため、事前に買っておいた高価な服を身にまとった。

 

「高い服も安い服も、結局は同じ。ただウェブレン効果で価値があるように錯覚しているだけだ。」

心理学に少し詳しい私は、以前からそう考えていた。

 

しかし、先日服屋で手に取った一着は、そんな私の価値観を揺るがすものだった。

「これ、かっこいい」と直感的に思い、値札を見た瞬間、驚愕した。私の基準では到底あり得ない値段だった。

 

高い服にお金をかけることに抵抗があった私は、他にもっと安くてかっこいい服を探そうとした。

けれど、他のどの服を見ても、最初に目にしたあの服が頭から離れない。

まるで強い魔力に引き寄せられるようだった。

 

光沢感に、他を寄せ付けない美しい黒。

それは、私のような人間には釣り合わないと分かっていた。分かっていたのに……。

 

結局、私はその服を買ってしまった。さらには、それに合う靴まで手に入れてしまった。

 

車の中でぼんやりとつぶやいた。

「このお金でアバターの衣装やアクセサリー、ギミックがいくつ買えただろうか……」

しかし、不思議と後悔はなかった。

 

 

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その服を着て鏡の前に立つと、私は思わず苦笑した。

「服だけが立派で、中身が伴ってないな……」

 

家を出る前、なぜかいつもより念入りに髪を整えていた。普段は適当に済ませるのに、なぜだろう。

鏡の前で自分の姿を何度も確認する。値札はついていないか、ゴミはついていないか、服にシワはないか……。

普段なら気にしないことが、どうにも気になって仕方がなかった。

 

玄関で靴を履き替え、外に出て駅へ向かう。

すると、背筋が自然と伸び、歩き方まで意識している自分に気づいた。

 

コンビニで飲み物を買うときも、所作が妙に丁寧で、いつもなら乱雑にポケットへ突っ込む小銭を、しっかりと財布にしまう自分がいた。

まるで、誰かに操られているかのようだった。

 

電車の中で考えた。

「これは一体、なぜなんだろう?」

 

考えに考え抜き、ようやく結論にたどり着いた。

 

 

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「服が私を操っているのだ。」

 

あの服は、私を操り、少しでも自分にふさわしい人間になれと行動させているのだ。

 

 

 

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新幹線の券を買うため、券売機の前に立った。

自由席の券を買うつもりだったのに、気づけばグリーン車の券を購入していた。

 

操られるがまま新幹線に乗り込むと、私は驚愕した。

以前乗った自由席とは明らかに違う空間だった。大声で話す人もおらず、床にゴミが散らばっているわけでもない。

そこは、静寂と秩序が支配する世界だった。

 

幼稚園児らしき子供が小声で母親に話しかけている。その声量でさえ、この車両では目立つほどだ。

母親は静かに話を聞きながら、叱ることなく子供を肯定し、静かにするよう優しく諭していた。

私はその光景に感心しつつ、頭の中で考えた。

「民度が違いすぎる……いや、これは知識量の差なのかもしれない。」

 

周囲の乗客もまた、普段目にする人々とは異なって見えた。

荷物はきれいに棚に収められ、どの人もスマートに振る舞っている。

その姿には何か特別なオーラがあり、顔つきからして品格を感じさせた。

 

やはり、服が人をそうあるべきと動かしているのだろうか。

私はそう確信し、この体験を書き記さずにはいられなかった。

すぐにスマホを取り出し、文章を書き始めた。

 

 

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この文章を読んだ人の中には、私のことを「痛いやつ」だとか「自分に酔っているだけ」だと思う人もいるだろう。

それでも構わない。

 

私は共感を求めているわけではない。ただ、この文章を読んで、自分自身を変えるきっかけにする人がいるなら、それだけで満足だ。

 

「一流に触れると、人は変化する」

これが私の出した結論である。

 

 

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余談だが、VRChatにおける「メス堕ち」も同じ原理ではないかとふと思った。

アバターという「服」に自分を合わせるため、自らを改変しているのではないだろうか。

その結果、人格や行動すら変わる――そんな現象だと考えられる。

 

メス堕ちには気をつけたいものだ。

 

最後に、少し下品な話題を持ち出してしまい申し訳ない。