今日も私のブログに来ていただきありがとうございます。
7月になりました。
あっという間に梅雨が明け、毎日猛暑。
こんなに暑いのに、蝉が1匹もないていないのが不気味です。
台風も発生しだしたみたいですね。
節電節電!と騒がれていますが、テレビを消してクーラーをつけて快適に過ごしましょう(*^^*)

夏野菜は元気に育っています。
きゅうりには毎日沢山の昆虫が遊びに来てくれて見ていて飽きないです。
害虫も手掴みで取れる範囲で。
極力農薬や殺虫剤は使わずに育てています。
暑いので朝晩の水やりが欠かせなくなりした。

きゅうり20センチくらいの物が毎日一本採れるようになってきました。
今日採れたきゅうり



甘さにびっくり。
みずみずしくて美味しい。
自分で作ったお野菜を食べられるって幸せです。


トマトとナスはあともう少し。

お野菜を育てるのって凄く根気がいるし、手間もかかるし大変ですね。

いろいろ育ててみて気づけたこと。

農家の方々に感謝です。












今日はどんなお話をしようかと考えているときに、こちらの聖句が頭に浮かんだのでシェアします。

世の中は悪が色濃くなっています。
イエス様はこんな例え話をされています。

「毒麦」のたとえ
イエスは、別のたとえを彼らに示して言われた。「神の国は、良い種を畑に蒔いた人に似ている。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実を結ぶと、毒麦も現れた。 僕たちが主人のところに来て言った。『ご主人様、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どうして毒麦が生えたのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで僕たちが、『では、行って抜き集めでおきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで両方とも育つままにしておきまなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に納めなさい。」と刈り取る者にいいつけよう。』」


「からし種」と「パン種」のたとえ
(マルコ4:30〜32. ルカ13:18〜21)
 また、別のたとえを彼らに示して言われた。「天の国は、からし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
 また、別の例えをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを三サトンの小麦粉に混ぜると、やがて全体が膨らむ。」


たとえを用いて語る
(マルコ4:33〜34)
 イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群集に語られた、たとえを用いずには何も語らなかった。それは、預言者を通して言われたことが実現するためであった。
「私は口を開いてたとえを語り 天地創造の時から隠されていたことを告げよう。」


「毒麦」のたとえの説明
 それから、イエスは群集を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちが御もとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を撒くのは人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り取るものは天使たちである。毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使を遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者たちとを御国から集めて、燃え盛る炉に投げ込まれる。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。その時、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のあるものは聞きなさい。」

「天の国」のたとえ
「天の国は、畑に隠された宝に似ている。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をすっかり売り払い、その畑を買う。
 また、天の国は、良い真珠を探している商人に似ている。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。 また、天の国は、海に下ろして、いろいろな魚を囲み入れる網に似ている。 網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って良いものは器に集め、悪いものは投げ捨てる。世の終わりもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中から悪い者をより分け、燃え盛る炉に投げ入れる。彼らはそこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

(マタイ13:24〜50)

最初は見分けがつかないくらい小さな違いでも、年月を重ねるごとに悪は色濃くなり見分けがはっきりとしてきます。

黙示録の時代、偽預言者、悪魔崇拝者は生きたまま硫黄の燃え盛る火の池に投げ込まれます。

最後までお読みいただきありがとうございます。