たくさんの苦しみがあったこと、我慢して
自分を置き去りにして、誰かの代わりをして

いつか、「ありがとう」「助かったよ」と、
自分の我慢が意味あることだったと確認したかった

でも。
「使いやすい」「断らない」「やって当たり前」
珍しく断れば「冷たい」
そんな言葉が返るだけだった。

そんな人間に好かれる私は30代で不安障害になった。
五年目に、希死念虜を経験し、無気力になった。

小さなことがきっかけで、不安がつのり、旦那が他人に感じた。
死にたくなり、自己嫌悪に陥った。
家を飛び出して家出しそうになったこともある。
子供を悲しませたくない。

そんななかでも、毒母の毒は収まらなかった。

この2年間、毒母から私の盾になってくれていた旦那が、鬱の再発を予感した今日。

私は一度頭が真っ白になったが、
それから母と縁を切ると考えた。

だけど、こんな無気力な私でも、今は母が怖くない。
ぶつかって壊れても構わないと思い出してからは、
旦那が盾になってくれるのを見て、
「もう大丈夫だよ」
と言ったが
「会わない方がいい」
と言われた。
母のことは産まれたときから知ってる。
旦那より免疫はついてる。

崩れるために我慢し続けたわけじゃない
不幸になるために正しいことを選択してきた訳じゃない

私は弱くない。
ただの不安障害な訳で、本質は弱くないし、信念は変わっていない。

もう母が私をライバルと言うんだから、私は子供じゃない。あなたには負けない。
幸せになります。

これからは私が守る。

ナイフ一つ、使いよう。
自分に向けるも人に向けるも
リンゴを向くも私次第で、未来が変わる。

      ふわふわこころ。