論語は儒教を、算盤は商売を表しており、元来、両者は相性が悪い。

金儲けを目的とする商売は卑しい行為であると儒教は批判してきた。


マックス・ウェーバーは、プロテスタントの倫理と倹約の精神が資本主義の発展の原動力であると主張し、儒教の国が経済発展することなどありえないと言い切った。


儒教の思想が足かせとなって停滞を 続けた中国や韓国を尻目に、この学説をあっさりと覆したのが日本である。


そしてその反証に貢献し、日本の経済思想に大きく影響したのが本書である。つまり本書は、世界史的にも重要な書といえる。


 儒者として、初めて経済に向き合ったのは荻生徂徠とされる。しかし経済の発達は、儒教と両立しないわけではないと控えめなものであった。


それに比べると、渋沢の主張は積極的でありラデイカルですらある。


渋沢は、論語を辿りながら、孔子は富を追い求めるべきではないと言っているわけ ではなく、道理に基づかない方法での富の追求はいけないと言っているに過ぎず、道理に基づく富の追求はむしろ正当化されるという論法を使って儒教を経済に引き寄せていく。


 渋沢は孔子の唱える「仁」を強調し、仁を商売人に求めた。仁とは、現代的に言えば、社会的共通善ないし公共的な意思とでも置き換えるができよう。商売人に道徳心があってこそ、金儲けが社会の発展や 繁栄に貢献できると強調する。


 商売人に倫理をもとめる話は、1980年代に発展した「情報の経済学」に遡る。


そしてその成果は経営者の行動を律して社会の 利益に合致させる企業統治の概念で現代に受け継がれている。渋沢の慧眼、恐るべしである。


 日本経済に目を移すと、大企業は過去最高の利益を上げつつ内部留保をため、その利益を従業員や投資家に十分に分配していない。


渋沢流に解釈すれば、稼いだ利益を社会に還流させる公共的な思想、つまり仁に欠けているということになる。


はたして経営者たちは渋沢の声をどう受け止めるのか。詳細な解説がついた現代語訳もまた優れており読みやすい。


〈 「 論語と算盤」(渋沢栄一著、 守屋 淳訳・注解)という本を、櫻川 昌哉氏(慶応大教授 経済学者)が紹介されています。読みたい本の一つです。〉