美術館や映画館で会話をしている人が、どうしても気になってしまう。一応は周囲に気を遣っているつもりなのか、彼らはできるだけ小さな声で囁く。それこそがかえって気になるのだ。

 

ほとんど子音だけになったヒソヒソ声が、チクチク耳に刺さる。とにかく鬱陶しくてまったく作品に集中できない。

 

 これと同じ効果を実に上手く使っているのが本書だ。ここに書かれている言葉は、どれも小さな声で読み上げたくなるものばかりで、だからこそ信用できる。世間に響き渡る大きな声を逆手に取り、囁くように語りかけてくる声。

 

美術館や映画館の声と違い、そこには後ろめたさの欠片もなく、小さくともハッキリ聞き取ることができる。どれも心の奥にストンと落ちて、ただ読んだだけで、今まで言えなかったことが言えたような気になるのが不思議だ。

 

 どうしても言葉にならない気持ちは絶対にある。普段言葉を使って表現をしているからこそ、強くそう思う。気持ちを言葉にするというのはある種の諦めでもあって、言葉にした時点で、今度は言葉にならなかった気持ちが生まれる。

 

いつもちゃんと言える人の言葉ばかりが伝わっていくけれど、声に出して言えなかった人の気持ちも間違いなくそこにあるのだ。

 

 どれも素晴らしくて、ここで引用したい文章は山ほどある。でもそれらはあまりに小さく、繊細で、触れると壊れてしまいそう。だから小さな声に耳をそばだてるように、ページをめくってじっくり読む。そこには、今まで言えなかった数々のことが書かれている。

 

 「聴く耳」というのは、テレビで言うところのチャンネルだ。地上波のみならず、BSやCS、YouTube、様々な動画ストリーミングサービスなど、ありとあらゆる動画が見られる今だからこそ、もっと自分ならではの「聴く耳」持つべきだ。

 

そのことを、声を小にして囁きたい。

 

<「声の立つやつが勝つってことでいいのか」(頭木弘樹著 文学紹介者 青土社 1980円)という本を、尾崎世界観氏(ミュージシャン 作家)が紹介されています。

 

「小さいからこそ届く『声』」との文章が、本の紹介写真の横に大文字で書かれています。 何か私に言われているように。>