朝、泣きじゃくって、ストーブの前を離れられない私を見て、



祖母と母は、『少し休みなさい』と言ってくれた。



私は、その言葉を聞いて心から安堵し、学校に休むことの連絡をして、居間のコタツでパジャマのまま眠りについた。



全てから守られた気がした。



卒業式が終わって、学校に行けなくなる日までに何があったかというと、詳しくは後日に書かせていただこうと思いますが…



まず、体調不良のため、謝恩会という保護者の方々が準備してくださる卒業式後の会があり、



それに出席できなかった私は、お礼の品や花束の存在を全く知らなかった。




金曜日に謝恩会があり、学校では何かと節目に飲み会を行う機会がたくさんある。




同じ日に、その飲み会も行われ、そこで他の学年部の先生からメッセージをもらっていたことも知らなかった。



土曜日に出勤していた学年長(年配男性)と副担任(年配女性)の間で話が進んだのだろう…副担任の女性からメールがきて、




『謝恩会でいただいた花束を渡しに行きましょうか?それとも、学校で活けて良いですか?』



わざわざ、持って来てください。とは、言えなかった。私は、一年頑張った証の花束を




『まだ体調が悪く、受け取りにいけないので、学校で活けてください。』と手離した。



でも、時間が経つにつれ、納得がいかない気持ちが勝り、日曜日に教頭に電話をし、花束の件を伝えた。




私が怒り狂っている様子を煩わしく思ったのか、教頭は日曜日にわざわざ別の花束を買って、私宛の謝恩会でいただいた贈り物と飲み会でもらっていたメッセージも全部、自宅に持って来てくれた。




感謝はしたが、メッセージを見て、私の中にある張り詰めていた糸がプチンと切れた音がした。




『◯◯先生は、加湿器をデスクに設置して、いつも自分の美容にも気を使っていましたね。』




この加湿器は、気管支が弱く、すぐのど風邪を引いて熱発してしまう私が、乾燥する職員室に、他の先生方に迷惑をかけないため、置いていたものだった。




『あぁ、そんな風に受け取られていたんだ。私は公共の電気を利用してまで、自分の美容のことを考えたことはない。誰1人、私のことを分かってくれていなかったんだ。』




絶望が押し寄せ、糸がプチンと切れた。