カンボジアの朝(太もやし)
成田を発った後、1時間で日本は大きな災害に見舞われた。
ニュースを知ったのはソウルでのトランジットの直前。
ツマモとマメモの無事は確認できた。
カンボジアへの飛行機に乗り込み、それからの6時間は全く情報から隔絶される。実家の家族は?町は?
なにもわからぬまま、時分は上空10000mでただ小さな座席だけが自分に与えられた空間。
本当は、怖い。
でも、きっと大したことないと自分をなだめる。
ようやく、カンボジアの空港に降り立ち家族へメールをする。弟からたった3文字“大丈夫”と返信。
違う国の同じ空の下日本の無事を祈った。
今回の海外旅行はこんなスタートを切った。
翌朝、カンボジアに日本から2時間遅れて太陽が昇った。
日本にとって、これからの長い復興の道のりの最初の朝。
どんなときでも必ず陽は昇ります。
日本にいることが出来ない2日間、必ず何かを吸収したい。
だから、日記にしてみました。
続きはゆっくりと書いていきます。
今日、義援金を寄付した。
http://www.msdsmall.com/?pid=30135847
どこかへ出かけてゆかずとも、力にはなれるのか。
頑張れ日本!
空港にて
お迎えのガイドにすっぽかしくらいました。
携帯通じてよかった。なんとか連絡ついた。
15分待ってくれっていうから30分位は覚悟だな。
追記:そのガイドへ。別に怒って無いよ。空港前で暑気につつまれた15分?は先の楽しみを夢想しながら過ごしました。
携帯通じてよかった。なんとか連絡ついた。
15分待ってくれっていうから30分位は覚悟だな。
追記:そのガイドへ。別に怒って無いよ。空港前で暑気につつまれた15分?は先の楽しみを夢想しながら過ごしました。
SNSから
以前使っていたSNSに書いていた日記を徐々に持って来ている。
我ながらくだらないことを何年も書いていたものだ。
2010年9月1日以前の日記はここで会った人にとっては目新しいもの。
暇で暇でしょうがない人が読めばいい。
暇じゃないけどこいつどんな奴?って思うなら、ブログテーマから“たわごと”や“妻”などを読んでみたらいい。
暇じゃないし、別にいいやって人はこれからも変わらぬお付き合いをお願いしたい。