今日は妊娠中のことを書かせていただきます。

 

 

そうして、なんとなく夫とも子供についてどう思う?といった話になりました。

 

夫は性格的に、主体性が「全く」ありません><;。(よく会社員できてるな^^;)

 

9割8分くらいは、周りの意思に従い、動く人です。

 

後から文句を言うときもたまにありますが、ほとんどが、それで失敗したときに心の中で悔み、

「どうせ俺なんて・・・」というタイプの性格です。

 

少しだけ脱線しましたが、そんな夫なので、子供のことも、

「まぁ、ええんちゃう?」

といった感じでした。

そして間もなく妊娠しました。

 

 

妊娠検査薬で陽性が出たとき、普通?たいていの奥さんは「やったー!」とか「ジャーン!」とか言って旦那さんにそれを見せたりするものなのでしょうが・・・

私はほとんどテンションが上がることはありませんでした。

 

むしろ、『いよいよ来たかぁ・・・これで平穏な生活も終わりなんだな』、と思いました。

 

最悪ですよね。

 

 

妊娠2ヶ月あたりから、つわりが本当にひどくて、吐かないけど水1滴も喉を通らないほどに吐気がすごい状態が始まりました。

もちろん動く気力も全く湧かず、ただただ時間が過ぎるのを吐気と共に待つしかありませんでした。

 

そして、夫が相変わらず深夜まで残業の中、夜11時くらい、パニックのような発作が起き、息が苦しくなり、

すぐにかかりつけの産婦人科へ夜間連絡したところ、すぐ来てくださいとのことだったので、

救急車を呼ぼうとしましたが、すぐに家の扉がガチャっと鳴り、夫が帰ってきたので、

その足で病院へ向かいました。

 

すぐに血液検査をしたところ、ケトン最大値、栄養失調と脱水症状の重症ということで、重症妊娠悪阻と診断され、

そのまま加療入院になりました。

3週間くらい入院しました。

 

まさか自分がこんな目に遭うなんて思ってもいませんでした。

 

しかも私は、こんな感じで子供が欲しいと熱望していたわけでもなかったので、もうただただ

「何で私がこんな思いをしないといけないの?」「やっぱり妊娠なんてしなければよかった」

「健康な生活を返して」「昔に戻りたい」など、

鬼ブラック性格最悪なことを考えていました。

 

症状が落ち着いてきたころ、退院となりましたが、夫は相変わらず深夜まで仕事ですし、

長い間入院をしていて足の筋力がかなり衰えたので、転んだりしたら危ないということで、

遠方から私の両親が迎えに来てくれ、安定期に入るまで実家で過ごすことになりました。

 

私の母は、機嫌のアップダウンが激しく、言ってることも気分や状況によってコロコロ変わるような、

プチ毒母みたいな人なので、

実家での静養生活も、正直かなり苦痛を感じました。

案の定、キレたり、無視したり、いきなり優しくなったり・・・色々ありました。

 

ただお腹の中の子供のためだけに、全てを我慢しました。

悪阻も、入院も、実家生活も、この妊娠期間の間にできたであろう全ての事も。

 

当時の私にとっては、我慢、でした。

もう母親になっているのに、どこまでもクズでしたね。

 

 

そして安定期に入った頃、夫に迎えに来てもらい、自宅に帰りました。

 

帰ってきたときは本当にホッとし、体の力が抜けました。

ようやく、帰ってこれた。

 

お世話になっておきながら、この言いぐさはないですよね><;。

でも・・・当時は、本当にこう思っていました。

 

お腹が大きく、便秘や胃の圧迫感、強烈な眠気などのマイナートラブルはあったものの、

初期に比べれば穏やかに安定期を過ごせました。

 

そして私は、ここまできても、文句だけは一丁前の相変わらず根性なしのヘタレの性格最悪女だったので、

産前産後の漠然とした不安があり、また実家に帰り、里帰り出産をしました。

 

今から思うと、結果論ですが、

もっと私が人間的に自立し、前向きで、様々な情報を意欲的に調べ、人に聞き、もっともっと努力できていたら、

自分で産前産後を過ごせたかもしれません。

 

里帰りの間も色々、ありました。

 

 

また書かせていただきます!

 

 

今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございます★