令和7年4月、米価は政府の備蓄米放出にも関わらず、一向に下がる気配がない。
これは何故なのか。
何が問題なのか。
マスコミ報道やワイドショーでは、「困ったねえ」という市民の声や、
専門家の「当分、価格が下がるのは難しいでしょう」という通り一遍の見通しを紹介しているが、事の本質が見えてこない。
食料問題は、大昔から一番の問題であるはずだ。
縄文・弥生時代から、江戸時代に至るまで飢饉で生きるか死ぬかの時代を我々の先祖は生き抜いてきた。
人間、どんなに科学技術が発達して便利な楽しい時代を過ごせるようになっても、食料が無ければ生きられないのは、昔も今も同じだ。
この令和の時代に、我々は、米価が昨年の2倍に高騰する事態に直面している。
食料の安定的な確保について、我々国民は危機意識が薄いのではないか。
本当の危機が来てからでは対応できない。
気付く機会があった時に、すかさず考えて対策を打っていかねばならない。
コロナ禍が来てからマスクが手に入らないと嘆いても遅いのだ。
今回の米価問題について、マスコミは事実の表面を報道しているが、解決に向けた方向性の提示、世論喚起ができていない。
そこは政治家がリーダーシップを発揮して取り組むべきなのだろうが、何か事情があるのか、改善感のある意見が出てこない。
私は、農政の専門家でも、農製品の流通に詳しいわけでもないが、この問題については、心配せずにはいられない。
自分をはじめとする一般の人々や、未来の我々社会の後継者たちが、将来にわたって
米を安定的に確保していけるのだろうか。
今、日本の主食確保の在り方について考え、対策を講じる必要があると思う。
江戸時代なら、支配層が能吏を登用して事にあたるのだろうが、今は令和の民主主義時代。一握りの人間に任せるのではなく、国民全体で、「良識に訴える議論」を深め、将来にわたる方策を編み出し、実行していくべきだ。
「良識に訴える議論」とは、センセーショナルに煽る独善的な議論ではなく、誰かに利益損失が偏ることなく、将来の全体の最適解に向け、各人、必要な負担は負い、努めるべきは努めることを納得づくで決めるための議論だ。
今回の米価問題を契機として「良識に訴える議論」を盛んにし、食料の確保を始めとする安全保障問題や、国力を左右する少子高齢化問題、産業展開の方向性、未来に向けた国家ビジョン、そうしたことについて、日々、世間全体が関心を持って、真剣に議論を深めることが必要だ。
「良識に訴える議論」を経て編み出された方策、これに皆で全力で取り組めば、より良い未来が目指せるはずだ。