大学入学から2年ほど野田市に通い、後半2年は同市に住みました。

卒業後(留年確実と見られていましたがなんと4年で卒業させてくださいましたね、とても良い学校です。)仕事の関係で1年ほど松戸に住んでいたことがあります。

 

それくらい千葉づいていた時期がありました。1996年~2001年くらいのことです。

 

たった5年強ほどのことなのにすっかり千葉を気に入ってしまい、一部の人には実際の埼玉ではなく千葉出身だと思われていたこともあったほどです。

 

千葉に住んでいたころのあたしが今と違うのが、体力があり余っていたことと車を所有していたこと彼氏がいたということです。ニコ生をご覧の皆さんならピンとくるように15年前くらいの話になるんですね、しみじみ。

 

特に仕事をしている時は今思い出してもクラクラするほど色々なことが今では信じられません。

 

昼間集中出来ないから17:00くらいから集中のスイッチが入り気が付けば24:00過ぎ。

終電を気にしない生活とはこんなものです。

仕事終わりにそのまま帰宅すればいいのに大慶園という市川にある大アミューズメントパークで遊んで4時くらい。

翌日というか当日ですね、割と普通に目が覚めるのですが

どうせ朝から集中出来ないからと昼過ぎに出社すると1個上の先輩から

「午前に来るならいいから、午後出社になるときは一本電話をちょうだいね」と言われていました。マイペースで働くことの大切さを教えてくれてありがとう、あの時働いていた場所。

 

毎日ではないですが結構な頻度の日数をこんな風に過ごしておりました。 

カムバックあの頃の体力。

 

そんな時代のある晩、北総公団線「大町駅」の駐車場の近くを、私のかっこいいスカイライン(HCR-32)が颯爽と走り去る際に

 

※写真はその時のイメージです。

 

こんなちょうちんが目に入ってきた気がしたんです。

何せ私のかっこいいスカイライン(HCR-32)は速いので最初は文字通り目を疑いました。

 

何度も通っていた道なのになぜ今まで気づかなかったのだろう

店らしき建物がないんだけど

 

私自身の頭にうずまくちょうちんに対するイメージが、ますますその存在をあやしくさせる一因にもなっておりました。

 

ただほほ毎日ここを通るたび、怪しんだり怖がったりしているうちに、それが「よし入店しよう」の気持ちに繋がっていきました。

 

運転中は見えなかった店は、そりゃそうです、小屋でした。

プレハブ小屋なんていいものを思い浮かべないでください。プレハブなんでしょうが、ボロ小屋です。

 

薄暗い店内にはおじいちゃんが一人です。

このおじいちゃんが店員です。

つまり客は私一人です。

 

その時たぶん23:00くらい。ひぃぃぃぃぃぃぃぃ。

稲川淳二が話したら完全に夏の風物詩のアレです。 

 

 

引き返すことが出来ないので醤油ラーメンを頼みました。

 

 

うまっ

 

・・・・なにこの懐かしいのに絶妙にたべたことない感じ・・・・

 

おじいちゃんのことをおっちゃんと呼ぶくらいに仲良くなったその晩以降、夜にお腹が空けばここに立ち寄り、実はラーメンがそこまで好きではない自分の舌がどこまで正しいのかと当時の彼氏をはじめとしたラーメン好きの男達を次々と連れて行き、一様に「うまい」と頷くさまを見ては満足していたのでした。

ええ、23歳のあたしはこの店に女を連れて行く勇気はありませんでした。

好みなんて自分で大切にしていればいいのだけど、それを否定されると悲しいものですものね。味は気に入ってもらえる自信があったのですが多分入店を拒否されそうな気がしていました。

 

あたしは、汚かろうが綺麗だろうが、高かろうが安かろうが、狭かろうが広かろうが、店員の態度が良かろうが悪かろうが、材料にこだわり抜いていようがレトルトを使っていようが

 

「美味しい」とは関係ない

 

と思っているところがあります。

パッと見の雰囲気や表面的な情報が醸し出す「美味しい確率が高い」はありますが、その確率が低くても美味しい店が存在してしまうのは事実です。

まあ美味しいなんて本当は非常に個人的な感覚なのですが、あたしはその個人的な感覚に重きを置いた結果「それはちょっと・・・」と多くの人がヒイてしまう要素のハードルがかなり低く・・・・どういうことかというと、興味をひかれたが最後、清潔感や値段等々を無視して入店出来てしまうという、ラッキーな性質を持ち合わせていると思っています。

 

だからこのラーメン屋に入れたわけですしね。

 

「そういえばここの店って名前あるの?」

「名前なんてないよ。ななしでやってるよ」

と屋台をひいていた頃から大町の駐車場に落ち着くまでの話なんかも聞かせてもらいました。

 

このとてつもなくあやしくて美味しいラーメン屋とあたしの関係は数か月続きましたが、2001年11月に赴任終了ということで別れがきます。

 

引っ越しの直前に最後の一杯を一人で食べに行った際、別れを惜しんでいると

「お姉さんの今度の住所を教えてくれ」

と携帯電話を持たないおっちゃんは言いました。

手紙をくれるんだったら、おっちゃんの名前も住所もわかるかもしれない、と住所を聞き返さなかったあたしが一本とられた、と思ったのは2002年の正月のことです。

 

ラーメン屋のおっちゃんは年賀状をくれました。

 

明らかにおっちゃんが書いたとわかる本文は非常に達筆でしたが、宛名を見てもおっちゃんの名前も住所も書いておらず、店ばかりかおっちゃんも最後まで名前がありませんでした。

 

 

 

ラーメンがそこまで好きではないというあたりが、再訪の手間と距離に敵わなかったゆえんでしょう。ただ時折思い出してはネット検索をしていたのですが、なんせまあ情報がないのです。

 

大町 ラーメン

 

程度じゃ出てきません。

 

しかもチェーン系ファミレスやフードコートの店までコメントはなくとも掲載されていることで有名な某ログにも掲載がありません。

 

検索に検索を重ねてたどり着いた先でわかったのが「ななし」という店名がちゃんとついていたということでした。

数少ない記事のアップされた日時が2008年。(今は2012年に上げられた記事もあるようです)

深夜営業だから店は辞めてたとしても元気でいてくれるといいな、おっちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

で、終わらないよ。

続きはそのうち

 

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次回ニコ生は 

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