
安川第五郎(1886~1976)さんは、安川財閥の創始者で1964年の東京オリンピックで組織委員会会長を務めた方です。
安川第五郎さんは、福岡県に五男として生まれます。東京帝国大学(現、東京大学)を卒業後、日立製作所に入社します。
アメリカの総合電機メーカー、ウェスティングハウス・エレクトロニック社で研修を終えた後、兄の清三郎と一緒に株式会社安川電機の前身である、合資会社安川電機製作所を創設し、モーターや電動機の製品開発を行い発展しました。
安川第五郎さんは、1946年、石炭庁長官に就任しますが、同年GHQによって酵素hく追放を受けました。
1949年に安川電機に復帰後は、日銀政策委員や日本原子力発電所初代社長などに就任します。
東京オリンピック開会式の前日夜半は雨だったが、安川第五郎さんが晴天になるように天に祈ったところ、当日快晴したそうです。
1970年、電力・原子力事業への貢献、ならびに東京オリンピック運営に尽力した功績により、勲一等旭日大綬章(現、旭日大綬章)を授与しました。
勲一等旭日大綬章は安川第五郎さんの他に、松下幸之助(現、Panasonic)さん、本田宗一郎(現、本田技研工業)さんも授与されています。
安川第五郎さん、東京オリンピック開会式の開会式が晴天になって以降、揮毫(きごう)を頼まれた時は、「至誠通天」の四文字を書くようになったそうです。
「至誠通天」とは、吉田松陰の言葉で「誠を尽くせば、願いは天に通じる」。「誠を貫けば、天にも通じる。一つ一つの課題に誠実に取り組み努力すれば、必ず願いは叶う」という意味です。
安川第五郎さんの言う通り、自分の夢や目標も誠実に取り組み努力すれば達成できるかもしれません。
何事にも取り組む姿勢と想いが大切だと思いました。
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福井祐平