ラモス瑠偉(1957年~)さんは、ブラジル出身の日本の元プロサッカー選手、元Jリーグ監督、元フットサルの日本代表選手経験者です。
ラモス瑠偉さんのお父さんは、サッカー好きでしたがお母さんはサッカーに無関心でした。ブラジルの実家の近くにはサッカークラブがあり、ラモスさんも当然のようにサッカーに没頭しました。
高校のときは、プロになりお金を稼ぎたいという思いから膨大な試合に参加していました。また、定期巡回で訪れるサッカークラブのセレクションを不合格になりながらも、幾度も受け続けていました。
18歳に、当時サンパウロ州1部リーグのサアジFCに入団します。19歳の時、読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)でプレーしていたジョージ与那城にスカウトされ日本に行くことを決断します。
20歳で来日し、読売サッカークラブに入団します。入団理由は、「なんとしてでもサッカーで金を得るため」だったそうです。
1979年ごろ、結婚することとなる当時美大生だった清水初音さんと友人を通じで出会います。ラモス瑠偉さんは、清水初音さんに一目惚れしたそうです。
1989年、ラモス瑠偉さんは日本に帰化します。帰化理由を、「妻(初音)の両親は快く一人娘をガイジンの俺にくれた、俺はとんでもない馬鹿野郎だった。何かの形で日本に恩返ししないとこれでは筋が通らない。」と言っています。
ラモス瑠偉さんの引退セレモニー動画をご紹介します。
ラモス瑠偉さんは、母に楽をさせたいため学生時代からサッカーでお金を稼ぐために努力を続け、ブラジルより給料の高い日本の地へ単身20歳にときに来日します。そして結婚した奥さんのことを想い、日本に帰化します。とても家族想いな方です。
最近、私の相談に来る求職者の方でも海外で働きたい方もいらっしゃいます。現在、日系企業の多くは海外進出を行っています。製造業界の工場責任者は、高年収で海外企業からヘッドハントされています。
これからも世の中では、働く場所が海外にまで広がっていくでしょう。海外での就業経験や現地で出会う人との経験は、なかなか日本で経験できないものでしょう。もしかするとラモス瑠偉さんのように海外赴任先で帰化するかもしれません。
人生の転機と思える時は、自身が何を一番大切にしたいのか確認し、選択することが良いかもしれません。ラモス瑠偉さんが監督を務めるビーチサッカーにも今後の活躍に注目です。
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福井祐平