昨日は南さつま市金峰町の上床城跡まで

行って来ました


所在地  南さつま市金峰町浦之名字上床原

立地   丘陵

現況   山林・畠・宅地

規模   150×250複

残存度  不良

存続期間 永正12年(1515)〜天文年間

築城者  不詳

在城者  上床氏

主な居城者 上床八郎三郎

      上床助六左衛門尉国成



古石塔群

上床邸の宅地内東側の古石塔群と

果樹園の間に幅2m長さ10m位の

壕跡が残っている



上床原・東上床原・外城・片平田・西之迫に

またがる




帰りに立ち寄った金峰このはな館


見目麗しい木花開耶姫の像が佇んでいました


木花開耶姫 (このはなのさくやびめ)

日本神話にみえる,乙女の美しさを花にたとえた説話上の名。別名,神吾田津姫(かみあたつひめ),鹿葦津姫(かあしつひめ)。《古事記》では木花之佐久夜毘売と記す。記紀の伝承によると,日向の高千穂の峰に天降った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は大山祇神(おおやまつみのかみ)の2人の娘と婚することとなるが,姉の磐長姫(いわながひめ)は顔が醜いので送り返し,妹のサクヤビメとだけ床を共にする。天皇の生命が木の花のようにはかないのはこのためだという。かくしてサクヤビメははらむが,一夜にして懐妊したのでニニギノミコトはわが子であることを疑い,その子が正統であるかどうか産屋に火をつけて試した。そこで誕生したのが火照命(ほでりのみこと)(海幸彦)・火須勢理命(ほすせりのみこと)・火遠理命(ほおりのみこと)(山幸彦)の3子であった。ただし,伝によってこの3子の名には異同がある。一夜にしてはらんだとされるのは,この説話が国津神(くにつかみ)の娘が大地の象徴として天津神(あまつかみ)の子である王の即位の日に一夜だけ女王を演じて子を産むという聖婚儀礼を下地にしているからである。サクヤビメの別名をアタツヒメというのは薩摩国阿多郡にちなんだ名であり,子のホデリは隼人(はやと)阿多君の祖とされる。つまり降臨したニニギノミコトは実は隼人の娘と婚したことになるわけで,このサクヤビメの説話は隼人の服属とも関係する。また,後世,火の山富士の山神として各地浅間神社にまつられたり,安産の神として信仰されたりしたのは上述の説話に由来している。
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以上、お借りしました。


近くに可愛らしい砂像も



そして次回の予定地は


お天気になったら行って来ます