“平等”って何なのでしょうか?


国語の辞書には「かたよりや差別がなく、みな等しいこと。」と書いている。


それって何?



最近、この問の答えが見つからず、頭の中にふっと現れると、その度に考えさせられ、
結局答えが出ないまま、明日を迎えるという日がよくある。



“平等”ってスゴイ曖昧で、都合のイイコトバだなって思う。



例えば、障害を持った人と持っていない私たちを平等に扱うってどういうことでしょうか?




①障害を持った人に優しく接すること?

それは逆に言うと、障害というものを意識しすぎてしまい、全てフラットに接することができるのかな?




②もしくは、障害を持っていない人と全く同じように接すること?


そうすることが本当の“平等”?





どちらも正解とは言えないと思う。
(そもそも“障害”という概念も怪しいが、ここでは敢えて触れないことにする)


前者①では、障害というものを意識されすぎ、結果として、障害を持っていない人が持っている人に対し、何かしらの「やってあげている」というような気持ちが発生する。

行動としては、世間がよく言う“平等”なのかもしれないが、

精神としては、蔑んだ気持ちを持つこともあるかもしれないし、どこかしらに自分は障害がなくて、この人は障害がある。だからこれを「してあげる」、となるのだと思う。




後者②においても、感覚的に“平等”でない、と考える人が多いだろう。

例を挙げるなら、知的障害を持った人が何かしら可笑しな行動をとっているのを見て、「あいつ何やってるんだ?おもしろい」と笑うことがそうだと思う。

精神としては、知的障害を持っていない人がそのような行動をしたら、「あいつは何をやってるんだ?」と可笑しな人だと思われる。

それと同じように、知的障害を持った人に接するのは、“平等”なのか?

それとも、「あの人は知的障害を持っているから仕方ない」と考え、笑わないことが“平等”なのか?



どちらも、「かたよりや差別」があるし、「等しく」はない。







もっと考えると、障害など抜きにしても、“平等”なんてあり得ない。


僕たちは生まれてきた瞬間から、他の誰とも違う。


顔も違えば、身長、体重、考え方、話し方、仕草、親、兄弟、友人、全てがことなる。


経験していく内容やチャンスも全く異なる。


つまり、この世の中に、今、世間一般で使われるような、都合のイイ“平等”なんてあり得ない。







元来、“平等”は仏教用語であり、「物事のあり方が真理の立場から見ればすべて同一であること。」とされている。

このように、今の世の中で使われるような安易な“平等”ではない。


真理の立場から見れば全て同一。


わかりそうで、イマイチピンとこない。


こんなことが最近頭の中をグルグルグルグル回っている。


そして、それを考えているうちに、寝てしまう。


そんな毎日を過ごしています。




ご意見等々ございます方、アドバイスをしてくださる方、いらっしゃいましたら、どうぞコメントをお願い致します。



それではまた。


みなさま、お元気でしょうか?


ボクはなかなか元気に過ごしています。


日本は大変な状況にありますが、本当にみんなの力を結集して、できないことなんかないと思います!


日本の復活!!


マジでやっちゃりましょう!!




もともと、ボクがアパレルの企業が内定していたにも関わらず、なぜ銀行に心変わりしたのかも、偶然ながら「日本の復活!」と深く関与しています。


周りの国々がどんどん成長していく中、日本の経済は低迷し、日本が世界から無視されていくような気がして、それが悔しくて、ボクは銀行という仕事を選びました。


なぜ?


って思う人もたくさんいると思います。


でも、銀行の仕事って、本当にたくさんの企業と関わってるし、そこで働く人はたくさんの企業の財政的な相談を受けたり、経営に助言をしたりして、小さい企業から大きい企業まで、日本全体の企業と関わって、協力できる仕事だと思うんです!


だからボクは銀行で働きたいと思った。


そして、銀行に決まり、いざ入行と思ったら、


この大地震。


日本はどうなってしまうのか。。


日本は終わりか?


と感じた人もいるかもしれません。






でも、絶対にそんなことない。







日本人の強みについて考えてみました。


それは【真面目さ】、【組織力】、【繊細さ】だと、ボクは感じています。


【組織】の中でみんなが【真面目】にコツコツ努力を重ね、そこには他の国ではあり得ない【繊細さ】を持っています。


これによって、計り知れない【総合力】を発揮できるのが日本なんです。


商品で考えると、大量に生産しても、良い製品を供給し続けられるのが、日本の強みなんです。


みんなで協力できるのが日本なんです。





その反面、日本の弱みもあります。


それは【爆発力】


これに尽きると思います。


外国(特に欧米)は大陸の影響なのか、やはりスケールの違うことを仕掛けてきます。


圧倒的な力の前に、ねじ伏せられる。


これでは、日本経済はやり込められてしまいます。


でも、日本の【組織力】が本当に発揮されれば、きっとその爆発力にも負けない力があると思います!


ただ、日本にはその【組織力】を十分に活かす、リーダーが少ない。






銀行は、その役割を果たすべきだし、果たせる立ち位置にいる、とボクは思っています。


いろんな企業の間に立ち、組織していく。







誤解を恐れず言うなら、この地震でカオスになった日本社会を目の前に、今まさにそこに飛び立とうとしている自分の状況に、少しワクワクした気持ちを持っています。


カオスな状態こそ、変化が生まれ、新しい秩序を創り出すという部分に関わるチャンスだから。



(もちろん、被災地や被災者のことを考えると、居た堪れない気持ちでいっぱいです。ボクも阪神大震災を経験した者なので・・・)



とりあえず、今の状況を受け止めて、それを知った上で、前を向いて突き進むしかないね!



日本はまだまだこれから!



うしッ!!



それでは、



また会う日までー。

今日は、メンズフェイシャルエステというものに行ってきました。


広尾と恵比寿の間にあるBIOLUXE THE HIROOというお店です。


グルーポンで80%オフで行ったので、約4000円でした^^


本当に気持ちよかった♪


しかもしかも、お姉さんがカワイイ!!


「ああ、ぜひもう一度会いたい・・・」


これが向こうの策略か・・・w


まあ、学生の身分のボクにはまた行くような余裕はなく、おそらく一生あのお姉さんと会うことはないんでしょう・・・


でもでも、本当にオススメのお店ですので、ぜひ行ってみてください♪






で、Twitterに「フェイシャルエステに行ってきた。お姉さんが可愛かった。」という内容をツイートしました。


ここからが、タイトルとつながってきます。


そうすると、数分後リプライが。


彼女から。


「カワイイお姉さんに触られてよかったね」やって。


ふざけんな。


お前にそれを言う資格はない。


なぜならそいつは、やたら高い料金を取って、女の子がマッサージするという、あと一歩で風俗やろ、というお店でバイトをしていたことがあるからである。


アロマのお店♪とか言ってたから、容認してたのに、よく聴いてみるとそんなお店で、その時はなんかショックでした。


でも、楽しいようだったし、バイト代も高くて、生活していくためか、とボクは割りきってだいぶ我慢していました。


それなのに、たかがフェイシャルエステに行っただけで嫉妬され、さすがに「ふざけるな」とブチギレたかった。


けど、彼女の諸事情により、あまり怒るわけにもいかず、割と優しめに「お前にそれを言う権利はない」って言ってやりました。


すぐに謝ってきたけど、ボクとしては腹の虫が収まりません。


なので、ブログを書きました。。。


限界や。


うざすぎ。



本当に面白くない愚痴をすみませんでした。


BIOLUXE THE HIROOは本当にイイお店なので、ぜひ一度試してみてください♪

また就職活動の時期がやってきました。



ボクも去年、“シューカツ”というモノをやりました。



そして、今年は内定者として、セミナーの協力に駆り出されている状況です。



正直に言って、セミナー協力は疲れる。



でも、いろんな人と会えて、いろんな刺激をもらえるから、別に嫌いじゃない。



ただ1つ、、、



内定先の会社は、日本の経済を担ってる会社であるにもかかわらず、本当にケチ。



どれくらいケチかというと、セミナー協力のために10時間ほど拘束しておいて、なんとお茶と弁当とお菓子とお土産のチョコレートのみ。



しかも、挙句には交通費は内定者の自己負担。



内定者を舐めきっている。



この時期の内定者の不安を逆手に取り、付け込んだ、最悪で汚い手口。



悔しいけど、内定者として、今後の出世云々を考えたら、行かざるを得ない部分も多少はある。。。



こんな状況も、就活のお受験化が原因の1つだと、ボクは思っている。



最近の就活は、なぜか意味不明な“平等”というものにこだわりすぎて、オープンエントリー制にして、あり得ない人数の人を“受験”させる。


受ける人数が多すぎるのだ。



そのため、企業側も学生を取り込むのに苦労しているし、イイ人材を探すために沢山の時間とお金を掛けている。



本当に非効率的。



そんなことをするぐらいなら、もっと会社内の人のコネクションを利用すべきだとボクは思う。



なぜなら、全員が“平等”なんかこの世にはあり得ないし、名目上の“平等”を求めるために、オープンエントリー制であり得ない人数の学生を集め、ネコを被った“しょうもない”学生を落とすことに苦労している。


そして、内定者という学生であり、安価な労働力を用いて、採用活動を運営している。



こんな非効率な採用活動をするぐらいなら、むしろ会社内の良い人材たちの知り合いを優遇するようなシステムにしても良いと思う。



なぜなら、その会社にいる人は、その会社が良くなってほしいから、自分の知り合いの中の優秀な人材と思う人を会社に紹介する。



しかも、社内の良い人材の関係者である以上、ある程度以上の人材と思われる人が来る確率が高い。



類は友を呼ぶ。である。。。



そして、そのように“お受験”の人数を縮小し、見極めを楽にすべきだと思う。




これは不平等だと思うかもしれないが、もしも学生が本気でその企業に行きたいと思うのなら、自分の知り合いのツテを辿って、つながりを持とうとするはずである。




しかも、そのほうが本気で入りたいと思っている学生を見つけられる。




いくらオープンエントリー制にしたとしても、完全なる“平等”はない。




それならば、効率も良い、会社内の人のコネクションを使う方法をするほうがイイんじゃないか、と思う。



まあ、これをやってしまうと、大企業の場合、多くの人の僻みの晒し者になって、叩かれるのがオチだろうけど、実際にはそのほうがよっぽど効率的に良い人材を見つけることができるはずである。



変な世の中、変えないとアカンね。


もっとも危険なのは元カレ・元カノとの恋愛! FacebookやTwitterが原因の離婚急増中...



日本だとミクシィとかが挙がってくるのかな...

苦しい失恋や激しい嫉妬の火種にもなってきたソ..........
≪続きを読む≫




この寒い中、避暑地に赴き、ウインタースポーツを楽しんできました♪



その代わり、筋肉痛と打撲で、カラダはボロボロですw



さて、巷ではSNSがどんどん普及し、流行の一途を辿っている状況ですが、みなさんもTwitter・mixi・facebookなどをやっている方も多いと思います。


このAmebaもある意味SNSの一種である。


利用者同士のコミュニケーションを活性化させ、つながりを形成していく。


「まさに」である。


この大流行には、やはり理由がある。


「昔の友だちと再会!」

「知らない面白い人と知り合いになれた!」

「新しい友だちができた!」

「実は、全然関係ないと思っていた自分の友だち2人が、友だちだった!」

「あの人の意外な一面を垣間見ることができた!」

「彼女(or彼氏)ができた!」


などなど、沢山のメリットがある。


そして何より、日本人なら欠かせない。


「みんなやってるから。」という理由も大きいだろう。


しかし、ここに落とし穴がある。


「みんなやってるから。」と言って、何気なく始め、何気なく“みんなやってる”ように利用する。


するどうだろうか。


その人の普段の行動や友達関係、恋愛事情、思想まで知らず知らずのうちに、不特定多数の人々に見せびらかすことになる。


自分の全てを人に晒すのである。


ボクにとって、これほど不快なことはない。


別に、人前で脱ぐことぐらいなら、そんなに苦ではない。←


しかし、自分の普段の行動(どこで誰と何をしてるか)、友達関係、恋愛事情、思想まで全てを晒すことは絶対にしたくない。


なぜなら、ボクは「謎がなければ、興味は生まれない」と思っているからだ。


例えば、とても魅力的な女性がいるとする。


彼女について、知りたい!と思うのは当然である。


でもそれは、知らないからである。


彼女が今、誰と何をしていて、どんな友達と付き合っていて、実はこんな男遊びもたまにするし、こんなことを考えている。と全てわかってしまうと、どうだろう?


もう興味など沸かなくならないだろうか?


しかも、人には知らなくてもイイ、知ってしまうと不快になる情報が必ずある。


ある意味、SNSの普及により、今までバレなかった嘘も、インターネットを介して、バレる可能性がとても大きくなったのである。


ボクの人間関係の抽象的イメージは次のようなものである。


それぞれ核のようなものがあり(ない人もたくさんいると思う)、その周りにいくつもの面がある多面体(形はバラバラ)が1人の人間である。
それを3次元空間に入れ、関係の近さや他の多面体(人間)との関係により、その配置がバラバラに置かれる。
この3次元空間が、人間関係の抽象的イメージである。


人間関係は、上のようなもので、自分というモノを基準として考えたときに、異聞の人間関係空間の中のいる1人の人から見える面というのは、絶対に全ての面ではない。


多くとも、50%の部分しか見えない。


これこそ、人間関係である、と私は考えている。


つまり、自分以外の誰かの全てを知ることなど不可能で、その誰かの裏側を知りたいからこそ、その人に近づいたり、周りの友人を使ってみたりするのである。


しかし、SNSの普及により、誰もがこの空間を鳥瞰できるようになったのである。


つまり、ヘタをすると、1人の人に様々な角度から自分を見られ、その人に見せたくなかった部分も見られてしまうことになるのである。



何度も言うが、ボクにとって、これほど不快なことはない。



だから、mixiも利用しなくなった(アカウントは存在する)し、facebookには手を出していない。
(Twitterはしているが・・・)


謎がなければ、興味は生まれない。



気をつけよう。。。
アクセス解析、というものがあるらしく、今日初めてみました^^


読んでくれてる人がいるようで、うれしいです♪


ぜひペタを残してってくださいね^^






さて、今日感じたことをまたタラタラ綴りたいと思います。。。


今日は、またYouTubeから。


象の背中




昨日、たまたま朝方まで起きていて、テレビをつけっぱなしにしていたら、これが流れてきました。


何か、吸い込まれるように見入ってしまい、気づいたら、涙がこぼれていました。


ボクはいつも、新しい環境とか、新しい人間関係、新しい挑戦などに引き寄せられる習性があるらしい。


こんな性格だから、女性関係も1人の人を愛せないワケではないんだが、1人の人を愛すことが怖くなったので、それ以来、1人の人と深く付き合うことをやめてしまった。


だから、長い目で見て、ボクと付き合う人は不幸になってしまうと思うから、女性関係に関しては、一生おひとり様でイイ、とも思ってた。


なぜなら、何か目標とかを持ったときに、ボクはすごい盲目的になって、他人にかまってられなくなるからだ。


彼女を支えたりできないし、自分が必死になってるものを、彼女に支えてほしいとは思わない。


新しい挑戦をして、それに夢中になって、それを達成するまでの過程が大好きで、もちろん達成したいと望んでいる。


そこに、仲間は必要かもしれないが、彼女みたいなものはいらない。


だから、ボクとパートナーになる人は、そういうことを望む人だと、不幸にしてしまう。


それならもう、ボクはおひとり様で、気楽に自分のやりたいことをやりたい、って思ってきたし、実際に思っている。








でも、この動画を見ると、どうしても、自分の家族を思い出してしまう。


家族を思い出して、やっぱりあれは本当に幸せだったんだ、とつくづく思う。





母がいて、毎日ご飯を作ってくれ、弁当も作ってくれ、時に口答えをしてしまったり、いっしょに買い物に行ったり、ボクの作った料理を美味しいと言って食べてくれたり、喧嘩したり、付き合ってた彼女のことについて聞かれたり、ボクのことを本当に気にかけてくれていた。


たぶん、いや、間違いなく、母はボクのことが大好きで、それを欝陶しいと思ったこともあったボクだが、実際には、ボクも母が大好きだった。


それから、無駄に多趣味で、いつもいろんなことに挑戦して、いつもイキイキしていた。


仕事などもいつも死ぬほど頑張る人で、本当にエネルギッシュな“大阪のおばはん”だった。


でも、すぐに体調を崩して、寝こむことも多かった。


そんな母は亡くなってしまった・・・。





父も相変わらず、早寝早起きで、朝は絶対にご飯派で、玉子焼きと味噌汁、漬物、海苔という決まった朝御飯しか食べなかった。


料理や洗濯などの家事なんてまずしないし、割と無口だ。


休日はほとんどの時間をテレビの前で過ごし、昼寝も欠かさない。


だけど、一度だけ、昇進の為に勉強をしないといけないとなったときの父は忘れられない。


仕事から帰ってきて、ご飯を食べたら、すぐに和室に篭もり、ひたすら勉強していた。


近寄れなかった。


そんな父は相変わらず元気だが、昨年、膿胸という病気で、入院した。


もう回復して、今は元気に生活しくれているが、入院当初は肺がんの恐れもある、と聞かされていて、本当に不安に襲われた。


母に続いて、父も亡くしてしまったら、ボクはどうしたらイイんだ、と本当に不安になり、恐かった。


やはりボクは、小さい頃から、父を絶対的に信頼しており、全てを頼ってきた。


これからもずっと父には頼りっぱなしになると思う。


でも、絶対に母親にできなかった分の親孝行をしたいと思っている。






ボクの勝手なイメージだが、母と父は本当に対照的な人間だ。


母がで、父がのような存在だ。


そして、ボクはその両方を受け継いでいる。


どちらの部分ももらってる。


ただ、ボクと妹とを比べると、たぶんボクが少しだけ母寄りで、妹が少しだけ父寄りだと思う。




妹は、すごく歳の離れた妹だ。


ボクは一人っ子のように育てられ、ずっと弟か妹が欲しかった。


そして、小学校2年生のときに、妹が生まれた。


本当にうれしかった。


ボクは自分が親かのように可愛がった。


妹から嫌われるぐらいほっぺを触って、何度も泣かせた。


それぐらい可愛かったのだ。


そんな妹も、だいぶ大きくなり、赤ちゃんだったのに、今では1人の女の子だ。


とても仲がイイ兄妹だと思う。


それでも、妹は女の子で、兄には相談などしづらいのだろう。


母とは、恋愛の相談などをしていたようだが、母が亡くなってしまった今、妹はそんな相手がいるのだろうか?


ボクが母の代わりに相談役になれることなら、なってあげたいが、そうはなれないようだ。。。


明日、妹が受験した高校(ボクの母校)の合格発表がある。


本当に心から合格を祈っている。


妹は、元々ボクより頭がイイ。


絶対に明日は合格通知が来るはずだ。






なにを書いてるか、よくわからなくなったが、とにかく、ボクは本当に幸せな環境で育ち、幸せな家族の中で過ごして、育ってきた。


それを思うと、そちらに逃げてしまいたくなることがある。


つまり、一生のパートナーを見つけ、それなりの収入で、家族を持って、幸せな家族を築く、ということだ。


それが素晴らしいのはよくわかる。


でもボクは、誰にもできないような、大きいことを成し遂げて、ボクの家族が誇れる、ボクの友達が誇れる、ボクの知り合いが誇れる、そんな人間になりたいと、本気で思っている。


それは、みんなが好きで、そうすることで自分が幸せになるのはもちろん、みんなもボクを誇ってくれることで、幸せになってくれると思うから。


だから、すぐにボクは周りの人に構えなくなり、自分のことでいっぱいいっぱいになる。






一度、お付き合いしている女性に



「彼女とか、周りの人に構えなくなって、目標に盲目的になる人って、幼い頃に家族の仲が悪かったり、幸せな家族生活が遅れたなかった人が多いらしいよ。」



と、明らかにボクが彼女に構わないことに対する不満を、このようなコトバでぶつけてきた。



ボクが彼女に構わないということに対し、文句を言ったり、それで離れていくのはイイ。



ただ、ボクの幸せな家族との過去を、侮辱されたような気持ちになり、本当に哀しい気持ちになった。



悔しかった。



それ以来、彼女には心を開くことはできない。


心の何処かで、彼女のことを本気で嫌いになってしまった部分があるのかもしれない。。。


彼女と付き合っていても、母と父が築いたような幸せな家族を、築ける気がしないのだ。


大きな原因はボクにある。


ボクが周りの人に構えないからだ。


だから、気付いたときに、この動画を見て、たまには自分の周りで自分を支えてくれている人のことを想いたいと思う。


まあ、こんな気持ちになってると、心が弱っちゃって、前に進めなくなっちゃう気がするんやけどね・・・

「たまには」ってことで!


こんな駄文を人に見せるべきか、迷ったけど、関係ない。



現実世界でのシガラミなしで書いてるブログなので!w



みんなありがとう。
長電話って、本当に無駄な時間。。。


ボクは長電話が大っキライ。


なのに、女の子はやたらと長電話したがるよね。


大して話すこともないのに、電話かけてくるな、っていつも思う。


何か面白いことがあったり、大事な話があるなら、電話してくれてイイんですけど、「今日~があった。」とか、「~がむかつく。」とか、「~が美味しかった」とか、


はっきり言って


どーーーーでもイイ。


そんなん会ったときにしてほしい。


わざわざ時間割いて会ってるんやから、その時に話してほしい!


オレの時間はオレだけのモノやし、それを長電話で割かせるなら、もっと有意義な時間にして、もうちょっと短い時間で終わらせてほしい。


人生の貴重な時間を、人に拘束されてる気がして、とにかく長電話は大っキライです。


でも、途中で電話切ろうと言うと、それはそれで怒ったりする・・・


どうしたらイイねん(-_-;)


もう恋愛末期症状でしょうか・・・


ボクはたぶん一生おひとり様でイイのかもしれない・・・w


と、長電話の途中に、「うん、うん」、「へー」、「マジか」と言いながら綴った文章でした。。。


無生産な長電話をしてると、相手はこう思ってるかもしれませんよ。


お気をつけて。


では☆

サッカー人気が最近すごい。


もうすぐアジアカップの決勝が始まる。


大学生においては、とりあえずサッカー日本代表を応援しておけばイイ。


サッカーをやったことがあろうが、なかろうが、そんなのは関係ない。


とにかく、サッカーを見て、ゴールが入れば飛び跳ねながら喜び、日本に不利な判定が出れば、レフリーを罵倒。


挙句には、相手チームの選手を侮辱。


この観客の状況を見ると、サッカーとは、本当に品のないスポーツだと、つくづく感じる。


とは言いつつ、ボクも同じようにサッカーの応援をする。


日本が勝つことは本当に嬉しい。


だけど、スポーツである以上、政治的なシガラミや、文化の対立などを混同して、観客がスポーツの試合にそんな思いを被せながら応援するのは、果たして正しいのだろうか。。。


今夜もまた、渋谷などの街では、サッカーのルールすら知らないような人間が集まって、ただ騒ぎたいだけの、“応援”とは名ばかりの、パーティが始まるのだろう。


せめて、サッカーのルールだけは理解して、応援してほしいものだ。


今の状況は、ただサッカーというスポーツが、夜な夜な大騒ぎするための道具になってしまっている。


とはいえ、日本代表には今夜の決勝は勝ってもらいたい!


頑張れニッポン!
ボクは忌野清志郎さんが大好きです!


ただ、彼が生きているときは正直あまり好きではありませんでした。


というより、食わず嫌い。


皮肉にも、亡くなったのをきっかけに、なぜか「雨上がりの夜空に」を聴いてみると、とてもイイ曲でした。


なんどもリピート再生しました。


カッコ良すぎる!!







こんなパワフルなおっさんが、まさか喉頭癌から復活した直後の人間じゃない!って思った。


とにかくかっこ良すぎた。


この動画を皮切りにどんどんのめり込んでいく。


いろんなライブの「雨上がりの夜空に」を聞いたし、見た、そして感じた。


全てが違う形で素晴らしかった。






そして、「スローバラード」、「JUMP」など、素晴らしい曲に巡りあった。







スローバラード

まさに、スローバラード。こんなにスローなテンポのバラードをこれほどかっこよく歌えるのはキヨシロウさんだけ!!








JUMP

「もしかしたらキミにも会えるねー」っていう歌詞がボクの胸を突いた。
彼はもう亡くなってしまってるけど、いつかどこかで会えるような気がして、嬉しい気持ちになった。

ちなみに、この歌を大竹しのぶさんが歌ってる動画もあります。
彼女もとてもパワフルに歌いあげてくれます。
大竹さんがここまでパワフルに歌えるとは、正直感動しました。
お時間がある方は、是非見て!聴いて!ください。







そして、最近はこの曲の魅力に取りつかれています。





太陽のあたる場所

どうしてこんなに切なくて、甘くて、渋いコトバが紡ぎだされるんだろうか。
「遥かな夢を追いかけた 見知らぬ夜を乗り越えて あー覚えてるかい? 一度だけキミが泣いたこと この胸で あーそれは一度だけ この運命に甘いキスを贈ろう この運命に甘いキスを贈ろう」という歌詞のところがあります。
シビれる!!
かっこよすぎるんです!
「この運命に甘いキスを贈ろう」
ボクが解説してしまうと、もったいないからヤメておきます。
ただ、1つだけ言わせてください。

ボクのハートは撃ちぬかれた











まだまだボクは浅い浅い浅すぎるファンですが、それでも大好きです。

日本語がこんなに自由自在なコトバなのかと本当に感動しました。

ボクもこれぐらいキレのイイ、甘い、渋い、重い、鋭い、熱い、切ない、そんなコトバを紡げる人間になりたい。

アーティストでも作家でもない人間だし、そうなりたいと思う人間ではないのですが、そんな人間になりたいとは思います。

今日は勉強しないといけないのに、いろんな曲を聴いて、シビれるばかりの1日でした。


では。