命日
今日は父の命日。亡くなる前の2年間は壮絶だった。全身麻痺に なり動くこともできずしゃべることもできず食べることもできず母と弟に裏切られわたしを世話役と頼み。見てるだけでも辛くてたまらなかった。でも父は当然のこととして人としての尊厳を生き抜いた。ちょっと小憎らしいけどやはり最期の最後まで父は立派だった…。父の命日には、最期にお世話になったクリニックに挨拶に行くことにしている。あの婦長さんが救ってくださらなければあのクリニックが引き取ってくれなければ父は、見た目はキレイけどひどい対応の病院に収容されていた。うめき声が渦を巻く病院だった。その中でも更にひどい病棟に移されると聞き、わたしは無我夢中で引き取ってくれるところを探した。普通なら一度収容した患者は出してくれない病院だった。父は、目の動きや、ちょっとした表情で意思の疎通は測れる。が、それを認めると医療上ややこしいので無視される。物体としての扱いだった。動けなくても、しゃべれなくても、人としての尊厳はある。基本的人権はある。人として毎日を生きていく権利はある。どうにか、その恐怖の病院を脱出できて最期の半年余りを穏やかに優しいスタッフに囲まれて逝けたのはあのクリニックの人たちのおかげ。いくら感謝しても足りないくらい。父はもっと生きたかっただろうなぁ。7月21日、いろんなことを考える日…。