あの謎の共通夢……。
意味不明な内容だったが、前述したように、波長の合う者たちが『強意識』と同調しているのが共通夢の原因だとすれば、ひょっとしたら、これは子どもたちの記憶ではなく、このナニカの記憶なのかも知れない。
この林間学校の行われた場所では、前面に山、後方に海が一望できると言っていた。では、山の中腹に作られた祠からは、山ではなく、全面に海が見えるのではないか?
そして写生が終わってから、列になって山を下る子どもたちの姿は……、実際は違うのだが、全面に広がる海へ向かっているように見えるのかも知れない。
つまり、この共通夢の正体はこの祠から動けないモノが見て、想像した強意識の記憶であり、海というものを知らないゆえに、海岸に辿り着いてからの行動が、いまいち明確ではないのだ。
偶然にも彼女が蛇足的に話した『小学校の七不思議』の一つ。
それは『小学校五年生になると誰かが必ず足を折る』。
これは前述の『足をつかまれた』とリンクし、また五年生なってすぐに行われる林間学校が終わった後……、つまり選別が終わった後のことと考えられる。
『足を折る呪い』正体は学校の七不思議ではなく、上記の祠に選別された者たちだったのだ。この祠に棲むモノは、一時的にでも『子どもの自由を贄』とする、ナニカと言えそうだ。
これが伝統的に、風習的に続いていたと言うのなら、その辺りには、遠い過去に『十歳になったばかりの子どもを捧げるという生贄風習があった』と言い換えられるのかも知れない。
だが、現代に及ぶまで続けられていたこの伝統的とも言える行事は突然、終わりを迎えたと彼女は言った。
拙い記憶だから、実際はどうかわからないが、彼女の『七不思議』に関する説明では,『毎年、一人、足を骨折する子どもがいる』。
このたった一人というのが、色濃くこの『生贄説』を反映しているのだが、彼女曰く、それは彼女の一つ下の学年では違ったようだ。彼女の一学年下の代には、足を骨折する子どもが多かったと……。
契約不履行……。『毎年、10歳になった子を一人、神に捧げる』。この約束事はどんな理由かは不明だが、マリの一学年下の代で破られた。その結果、この伝統的とも言える行事は終わりを告げたのだ。
この行事の見切りの早さからわかることがある。
この行事に対して反対していた人間も多くいたということだ。本当に伝統的に意味のある行事ならば、そんなに簡単に終わらせたりなど出来ない。
言い換えれば、この行事は、マリが小学生5年生の頃には、既に反意を唱える者たちが多くいたのだが、それを踏み切って実行に移していた者がいたということだ。
学校行事をそのように仕切れる者……、校長か……?
最後に……非常に恐ろしいことがある。
この行事を半ば無理矢理に行わせていたその人物は、これにより何を得ていたのか、ということだ。
当時マリの住んでいた村は、非常に田舎で住民も少なかったと言っていた。過疎地域に属しているのでは、と彼女は言っていたが、インフラや住居は近代的で整っていたととも言っていた。どこにそんな金がある?
しかも、この学校はマリが高校生になった頃には、廃校になったという……。
つまり、この学校は今まで『神に捧げものをしていた』から、問題なく存続し、それにより利を得ていた者がいた。
しかし、マリの後続の学年から『生贄』を捧げることは無くなった。それ故に、その『恩恵』がなくなり、一気に廃れ、廃校に追い込まれたのだ……。
僕はマリからその学校の在った詳しい地名を聞いていた。
そして調べて見たのだ。
すると……、過去、何人かのその町の職員が相次いで病死、自殺、そしてその町長すらも自殺を遂げていた。年代も一致する。
湧き上がる鳥肌と共に僕はコンピューターを閉じた。
この話で恐ろしいことは三つ。
子どもたちがそれと知らない内に『生贄』として利用されていること。
そして、私利私欲のためにそれを行わせ続けた人間がいること。
そして…………『生贄がなくなったこと』に対して、顕著に復讐をした『祠に潜むモノ』。
こんなことが、今、近現代においてまで行われていたのか……。
了
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