あぁ、めんどくさい。エッセイを書くのはいいけどそれを文字に打つのがめんどくさい。私は極度なめんどくさがり屋だ。1週間更新しなかったくせに!と思うなかれ。実は私は寮生活をしており、携帯を使えるのは土曜の夜と日曜だけなのである。寮といっても部活とかが特別強くて入っているわけではない。ふっつーの女子高生である。ゆえに、勉強、部活などで多少忙しい日々を送っている。いや、結構かなり忙しい方か?でも特別何かやっているわけではない。一体なんなんだ。
昔、といっても小学生の頃からなかなか忙しい日々を送っていた。習い事は8つくらいやっていたし、家の事情でいろいろな手伝いをした。
私は忙しくしたかった。そして今でもきっとそう思っている。でも、よくよく考えるとやっていた習い事は全て行くのがおっくうだった。遊んでいたい。休みたい。常にそう思っていた。
本当にやりたくてやっていたのかなあ。なんだか小学生時代を損した気分だ。でも今だってそうかもしれない。勉強はまあやりたくないのは学生あたりまえ(だよね?)として、部活やりたくてやっているのか悩んだ時期が何度もある。私はバスケ部の人に所属している。市で最弱レベルで部員も少ない。
元の運動能力の低さもあったと思う。「スラムダンク」に憧れて入部したのはいいが花道みたいにすぐ上手くなるはずなかった。いや、あれは花道が凄すぎるだけか。勝てないし体力ないし他の強い中学から入ってきた後輩には全く敵わないし…そんな状態で5年間やってきた。絶対的に向いてなかった。バスケは気の強い人がやるスポーツだ。(同学は私を入れて4人)でも私以外の3人はそれでもバスケをするのが楽しくてやっているっぽかった。輪を乱したくなかったのか、仲間はずれにされたくなかったのか、わたしは必死で部活に行きたそうな、バスケがしたそうな人を演じてきた。もっと他の人道があったんじゃないか。とも思う。それでもバスケをやめなかったのは、諦めた人というレッテルを貼られる嫌だったのと、友達に「頑張ってるね」「疲れてるね」と心配されたかったからだろう。
小学生から今まで私は、「頑張ってる自分」を見て欲しかった。そして褒めて欲しかった。実際は褒めてもらえるような事なーんにもやってないのにね。
本当にやりたい事は今までの人生であっただろうか。これからもあるのだろうか。
時にエッセイは自分を客観的に見つめ直すきっかけになってくれる。まあ見つめ直したところで結局落ち込んでしまうのだが。