ダウン症や知的に障害のある子供の進路について、私も親になりこういったニュースを見て色々考えるようになりました。
芸能人の方でも公に進路の選択を公表していますね。
長くなりますが思うことがありましたのでブログに書きたいなーと思いました。
私の息子はまだ小さいのですが特に検診などで指摘される事なく、問題なく育っている健常児です。
ですがそんな息子もひょんなことから後天的になにか病気や事故にあい障害を持つ子になってしまう可能性だってあると思っています。
そうなった時に私の息子が小学生になったら特別支援学級、もしくは支援学校に入れるだろうなと思っています。
それには理由があります。
私は親の転勤で小学校に2つ通いました。
1つは特別支援学級のある学校でした。
重度の知的障がいのA君がクラスメイトとして在籍はしていましたが基本は特別支援学級で成長に見合った授業をしていました。
たまにみんなで給食を食べたり、レクレーションをしたりなど触れ合う時間もありました。
その中で幼いながらに
こんな人がいるんだ、
こういう人は手助けしてあげなきゃいけないんだ、
と学びみんなそのA君に優しく接していました。
ふざけて
『お前身障だなー』
なんて友達間で言う子は皆無でした。
(当たり前の事ですがこんな酷い事を言う小学生、中学生、実際います。)
特別支援学級の先生も素晴らしい先生ばかりでした。
何も知らない私達に障害の方への手助けの仕方、関わり方、考え方などしっかり教えてくれました。
小学1年生の時には字も書けない、ハサミなどの工具も使えない、着替えもできない、名前も言えない、ご飯も食べれない…どころかよだれがだらだら…
A君はそんなレベルの子でした。
でも4年生になる頃には上記の事は全てできるようになりコツコツ作業などもできるし挨拶もしっかりできる子になっていました。
ご飯もとても綺麗に食べれるようになっていました。
特にビックリしたのはマルすら書けなかったA君が素晴らしい絵を描けるようになっていた事です。
みんなもA君すごいねー!将来画家になれるじゃんー!
なんて言って尊敬していました。
後から聞くと基本的な読み書きの勉強はもちろんの事先生がこの子は絵が得意と見抜き、特に絵を描く時間を長く設けていたようです。
そうすると自然に集中力がつく、椅子に座っていられる、知能もその子なりにですが発達もしていきます。
A君は特別支援学級で専門の先生に見てもらいとても素晴らしい成長をしたんだと思います。
親になった今、A君のお母様の気持ちを想像することがあります。
私ならきっと嬉しくて涙が出ます。
A君はその後工場に就職したようです。
電車に乗って通うところよく見るよーと大人になってから当時の友達が教えてくれました。
そして5年生の時、私は転校しました。
その学校は小さく特別支援学級はない小学校でした。
ですがクラスに1人知的障害のB君という男の子がいました。
それは事前に担任の先生から聞いてましたし、
前の小学校でレクレーションの時間に様々な学年の障害の子と遊んだりもしてたので
へーあの子そうなんだー
くらいにしか思っていませんでした。
そして子供の目から見てもB君はA君よりは軽度だと感じました。
ある程度言ってる事もわかってそうだし目つきもしっかりしていました。
自己主張もしていたからです。
ですが実際授業が始まりビックリしました。
まず、座ってられないでフラフラしていること。
50分間くらいの授業をずっと座っていられないのです。
それは仕方ない事かもしれません。
普通の子供だって50分座るのって結構苦痛だし(^_^;)
そして先生も生徒も何も言わない。
それが当たり前だからです。
その子は後ろでクレヨンで遊び始めたりボール投げ出したりとにかくただただフラフラフラフラしていました。たまに奇声あげたり。
隣の席の子に
「B君はあれでいいの?」
と聞いたら
「1年生の時からずっとあんな感じだよー」
と言われました。
たまに先生も席につかせて何かさせるのですがひたすら「あ」だけを書かせていました。
次の日には「い」になっていたりしましたが…
みんなと同じ事ができないので違う事をやらせているのですが授業も同時にはできないのでB君にはデスクワークを与えるだけのようになっていました。
そして先生の態度からもB君にイライラしてるのが伝わります。
語気の強い口調で無理やり言うことをきかせていたり。
先生は先生でカリキュラム通りに授業を勧めなくてはいけないですからイライラしてたのかもしれませんが…
周りのクラスメイトもB君の世話係が当番で回ってくると
「うわ、最悪ー…」
と言い放ち嫌だと言う事を隠すそぶりもなかったのです。
子供って素直です。
そしてその状況は変わらないまま6年生にになりその子は自分の名前も書けないまま卒業しました。卒業式も座らずにフラフラしていました。
お母様が最後にクラスで挨拶をしていました。
みんな仲間にしてくれてありがとう、と。
でも私は心がモヤモヤしました。
だってB君はただ通常学級に【いた】だけ…
私は途中からしか見ていないしもちろんB君なりの成長はあったと思います。
でも…お母様はB君の授業風景を見たらどう思ったのだろう、って。
授業参観はありましたが授業参観って日常の授業風景ではないですよね。
先生も生徒も見られているという事で意識してるし。
そしてイヤイヤお世話係をするクラスメイトを見てどう思うんだろう。
仲間だったのかなぁ…
B君は学区内の中学にすすみましたが結局女生徒にいたずらしようとする、という問題を起こし転校しました。どこに転校したかは知りませんが…
今も近所にいますがお母さんと常に2人で出かけています。たまに癇癪などを起こし手がつけられなくなり警察が保護している姿を見かけます。
なんかすっっっごく長くなりましたすいません( ;´Д`)
何が言いたいかというとあくまでも私の考えですがどんな子でも子供の知能に合わせた教育をするのが1番だと思うのです。
周りに合わせるなんていうのは二の次でいいんじゃないかと…。
周りに合わせるなんて普通の大人でもストレスたまる事を早い時期に、しかも障害を持っている子に体験させる必要はないと思うのです。
(全くさせないという意味ではないですよ。)
子供は1番脳が成長する時期です。
これは健常児も障害児も当てはまります。
モンテッソーリ教育は有名ですがこれはもともと障害のある人に向けた教育法でした。
それが注目されているのはやはり効果を実感した人がいたからだと思います。
私は未だに思うのです。
B君に適した教育を1年生の時から…いやもっと小さい時から受けさせてあげていれば彼にはもっと違った人生があったのではないか…と。
親がいなくなった時、周りの方には助けてもらう事にはなると思いますができるだけ、少しでも自分の力で生きていってほしいと私は思います。
最初から
助けてもらって当たり前だよ‼︎世の中助け合い‼︎
と教えるのは良くないと思うのです。
もちろん助け合いは大事です。
実際、行政や支援員の方に助けて頂くことは不可避です。
でもそれでも親は自分の足で立っていく事を子供に教えなくてはいけないと思うのです。
それには幼少期の適した知能教育が必要だと思います。
子供はいつまでも子供じゃない。
いつか大人になるんです。
大人になった時に自立できるようにするのが親の務めです。
それは障害や健常関係なく親の義務だと思います。
支援学級で得意を見つけ、成長でき、就職もできたA君。
通常学級に【いるだけ】になってしまってその後も少し危なげなB君。
私が親ならA君のようになって欲しいと思います。
だから個人に合わせた教育をし個性を伸ばしてくれる特別支援学級に入れたいです。
もし通常学級に入るならば助けてもらうのが当たり前と思わない事が大事だと思います。
だって自分の事は自分でやるのが通常学級ですから。
芸能人のOさんがご子息のダウン症を公表しておますね。
そして小学校入学にあたり通常学級に入れると言っていました。
それだけならまだいいですがブログを見るとなんだか色々勘違いしているなと感じました。
【当たり前】に面倒見てもらう気でいるのはどうかと思います。
ご自分の子供だけではなく周りの子にも目を向けないといけないと思います。
1年生はまだまだ子供ですし周りも自分の事で精一杯です。
周りの子の成長にもつながる…って…
なんでそんなに上から目線なのだろうか…と感じずにいられません。
通常学級に入れるなら障害があるという事を振りかざすのはどうなんだろうと思います。
学童の送りを上級生に…とも書かれていましたけどそんな責任のある事を子供に押し付ける事を自ら提案するのもおかしな話だと思います。
何かあった時の責任は?その子に負わせるのでしょうか?
今一度周囲の方の気持ちもお考えになられた方がいいですね。
ダウン症他、障害を持ったお子様のご両親様、
このブログを見て不快な思いをしたのなら申し訳ありません。
私が出会ったA君、B君はとても両極端なパターンだと思いますしその子の素質などもありますしこれが正解というのはないと思います。
近くにこんな子がいた…という体験談とあくまでも私一個人の考えを書かせていただいただけですのご了承下さい。