タイ料理屋書き殴り備忘録@ストックホルム | 文の書斎

文の書斎

〝ふみ〟と読みます。
女です。

小説、詩など、上手く書きたかった中学生も、もう大学院生になりました。
更新頻度は蝸牛並みですが、細々と続けています。

日常、趣味、好きな事中心。
心情を綴る/考えたことをまとめて置いておく場所。

ポジティブに生きる --------------------------------

 

指導教員はポジティブな人だ。

誰かに攻撃的なことやあまりに直接的な意見を言われても、言葉通りで受け取らず、上手いこと"解釈"して受け取ることを知っている。

誰かがややネガティブな発言をすれば、"中性化"するかのように、自然とポジティブな解釈を伝えられる人でもある。

人のことをよく観察していて、考えてくれていて、社会人としての価値観のよく似た、良き師匠である。

 

自分は一昔前は物事を考えすぎるタイプだったと思う。

周りからの評価を気にして、自分のやりたいことを考える前に周りに合わせて、失敗を恐れて、何が起こるかわからない将来を憂いていた。

昔ほどこれらのことを気にしなくなったのは、いかにも指導教員のポジティブマインドが影響していると思う。

今でも人によく思われたいと思っているのは変わらないが、なるべく自己犠牲せず、ちょっとした失敗は反省はしても後悔せず、これが自分なのだとある種開き直って生きている。

 

部活をしていた頃は特に、なぜあの人にできることが自分にはできないのだろう、なぜあの人はこんなにアクティブでモチベーションが高いのに自分はやる気がないのだろう、と落ち込むことも多かった。

それが大学院に入ってから減ったのは、比べてもしょうがないということを学んだからだろうか。

もちろん、今でも出来る人を目の前にして自分の不甲斐なさにがっかりすることは多々あるが、経験の差なら仕方がないとも思えるし、やはりこれが自分かとある種開き直ってもいる気がする。

 

言葉の観点では、自分の言葉をいちばん聞いているのは自分なのだから、という点が真理だと思う。

ネガティブなことばかり言って負のスパイラルに陥るのは簡単なのだから。

これは自戒として、なるべく考え方をいい方に捉えて発言していきたいし、目の前の相手のネガティブを中性化できるような思考回路でありたいと思う。

 

 

将来のこと --------------------------------

 

昔から、自分が何が好きで何をやりたいのか、特にロングスパンではわからないまま生きてきた。

住む場所を変えず、環境も大きく変えず、自分で選択肢を広げることもしないまま、目の前の手の届く範囲から道を選んできたのもそのためだ。

ただ淡々と、何も考えず日々を過ごしている今、それは実は気づいていないだけでメンタルの大きな波もなく上手いことやりながら過ごせている証拠なのだろうという一方で、やはり自分が今何が楽しいのかわからないという側面もある。

 

論文も出て、人前で発表もたくさんして、側から見れば順風満帆な博士課程だが、このまま何も考えず仕事を続けられるわけもない。

文章を書くことは得意な方だと自覚しているし、色々な人とやりとりすることも発表することも、好きではなくても得意なのだと思う。

その点では自信もプライドもある。

けれど何か新しいことを考えることは苦手だし、ワークショップや会議の場で人に話しかけに行ったり議論したりすることも、どちらかといえばできれば避けたいとすら思っている。

その点では全く自信がないし、この仕事を続けていいのかわからなくなるポイントでもある。

 

特にヨーロッパ人やアメリカ人に囲まれてしまえば、言語能力も相まってただの無口な若人にならざるを得ない。

けれど指導教員ですら"キャラ変"しないとこんなに話せないし、英語での議論の"真意"をきちんと掴めているのかはわからない、というのにはやや安心する。

日本人がお喋りでないことはわかっているからこそ、何か言う必要がある時にしっかり言えるような瞬発力を磨くのは、やはり経験を重ねるしかないかもしれないが。

「交流」が苦手だと自覚しているからこそ、これも自分かとやはり割り切って、生きる術を考えることは有用かもしれない。

 

基本的に自分に自信はない一方で、自分自身を信じている側面もある。

例えばこれまでの受験や何かの申請書も、上手くいくと思っていたし実際上手くいってきた。

初めての場所に一人で行くときも、事前調査は面倒でも必要だが、やはり行ってしまえば後はなるようになる。

手の届く範囲にある選択肢のみから道を選んできたとは言え、その選択に悩むこともあったし、けれどそれを選んだからには周りが手放しで認めざるを得ないくらい楽しめ、というのは近しい先輩のお言葉だが。

実際これまでにしてきた選択が間違っていたと思ったことは一度も無いし、最終的には自分を信じている。

将来何をやりたいのかわからないし、考えなければいけないと思いつつも、まあなるようになるだろう、と楽観的にも思っていて、どうなっても大変でもまあ何とかなるだろう、自分は何とかできるだろう、と思っている。

 

そして将来のことを真剣に考えるのであれば、自分が何が一番大事なのかを考える必要がある。

ライフワークバランス、とはよく言ったものだが、まずは何が「ライフ」を作っていて、何が「ワーク」になり得るのかを考えるところから始める必要があるだろう。

 

例えば、人間誰しもメンタルには波がある。

落ち込むとき、それを励ましてくれる存在が自分であれば理想的だが、外的要因というのも心の安定には必要な時があって、指導教員やお世話になっている共同研究者は、奥様の存在が大きいと言った。

もちろん、自分の機嫌を自分で取れることは重要だ。

けれどやはり、誰かに話を聞いてほしい時はあって、全てを話さなくても、この人は話を聞いてくれる、という存在が一人いることも重要なのかもしれない。