HUMANMUSIC blog

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STAFF 北神

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久々にblogというか、文章を書くなぁ。 RAIZENです。 2016 12.7にNEW ALBUMをリリースしました。 ALBUMのタイトルはNODUS。 今回一緒にアルバムを一から製作した相方はBOCKY。intro〜最後のKAZEまで、是非一周通して聴いて頂きたいALBUMです。 今思えば、BOCKYとALBUMを創る事になるとは当時は全然予想もしなかったなぁ。 もともと10代の頃から池袋で出会い、その当時はBOCKYもthrough the breakというユニットで、メインボーカルのTUNE、今はRADIO FISHで世間を騒がせてるつとむ、BOCKYの三人で活動していたんだ。 池袋の皆が期待していた皆の星みたいな存在だった。 俺はその当時はcrystal loudspeakerというCREWで、とにかく煙たいアンダーグラウンドって言葉に酔いしれながら、仲間達と楽しくRAPばかりしていたなぁ。 クソガキだったけど、最高に毎日が楽しかった。 こういう時代を青春時代とでも呼ぶのかな? なんかそれじゃ照れくさいしおっさん臭いから、俺のHIPHOP人生を語る上で大事な時代と俺は呼びたい。 BOCKYのthrough the breakも、俺のcrystal loudspeakerも絶対今じゃ味わえない大事な時代だったと思う。 すでにマイクを握っていたんだ。 さっき言った青春時代なんて言葉はゴミ箱に捨ててしまおう。 俺も気付いたら31歳になった。時が経つのは早すぎる。 人生の折り返し地点だ。 話を戻そう。 そんな音楽的には違うスタイルだったBOCKYとRAIZENだが、常に池袋というスタイルで繋がっていた。 IKBってやつだ。 IKBには独特の匂いがある。 格好よさがある。 先輩達の背中を追いかけながら、自分達のIKBをつくってきた。 俺にとっては、それがHIPHOPだった。 先輩達というのは、俺達の場合、ラッパーや音楽をやってる人達じゃなくて、ストリートで名前が通ってた先輩達の事だった。 ただその人がそこに現れるだけで格好いい。 一緒に遊べるだけで嬉しい、楽しい。 そんな先輩達に憧れていた。 音楽を始める前から、IKBをずっとレペゼンしていた。 池袋をこんなにも好きになれたのは、格好いい先輩達のおかげだ。 何歳になってもずっとリスペクトは変わらない。 そんな俺達に、音楽をやる上では、音楽やHIPHOPの先輩はいなかった。 つくらなかった。 右も左もわからないそんな状況で、格好つけながら、自分達のHIPHOPを模索した。 確立したかった。 2011年に、初となる1st ALBUM 革醒をリリースした。 このタイミングでHUMANMUSICというレーベルを立ち上げる事になる。 ビートメイカーのFReECOolとデザイナーのJALと三人で1000枚のCDが入ったダンボールが届いたあの日から、HUMANMUSICは始まった。 革醒というアルバムには当時の空気感や勢いが真空パックされている。 feat.に名を連ねてるラッパーも全員戦友だ。 その後もDJ PENNYと製作したMake my Day、FReECOolとの2nd ALBUM 始動、池袋bedのスタッフだったDJ 244とつくった夢のつづき、勢いよくリリースを続けていった。 LIVEも沢山回った。 なにより、仲間とアルバムを創る事に美学を感じていたし、それがHIPHOPだと信じていた。 俺達の事は俺達にしかわからない。 変にシーンに染まってしまうと影響を受けて似たようなスタイルが出来てしまうと思っていたし、自分達の作品のクオリティにも自信をもっていた。 再会ってわけではないけど、グッとBOCKYとの距離が縮まる出来事が、同じ職場で働く事になる、だった。 足場で作業しながら、一緒にゴンドラに乗りながら、くだらない事で毎日笑いあった。 必然的にBOCKYと一緒に遊ぶ事が多くなった。 BOCKYはその頃、色々あって音楽を嫌いになりそうになっていた。 俺の家で遊ぶ時はいつも誰かしらいたし(当時は仲間と三人でルームシェアしていた)いつも、HIPHOPがかかっていて、酒飲みながらフリースタイルしていたから、BOCKYにもいつも無茶ぶりして、BOCKYも堂々とフリースタイルして、遊んで、とにかく皆で笑ってた。 あの時代も最高の宝物だ。 この位から、BOCKYにしかわからないだろう、忘れかけていた何かを思い出したように感じた。 気づくと、ゴンドラに乗りながら、一緒に夢を語るようになっていた。 一緒にまた音楽やろうぜ。 言葉はいらないような感覚でBOCKYも自然とHUMANMUSICの仲間になった。 最初のうちはとにかく、BOCKYは俺の活動をずっと支えてくれた。 物販の準備等も、HMの一員として責任感をもってやってくれたし、それだけじゃ物足りないから、もともとシンガーだったBOCKYは俺のサイドMCをやる事になった。 誰よりも俺のリリックを信じてくれて、魂をこめて一緒にLIVEをしてくれた。 ある時、BOCKYがフロアでぽつんと立ちながら、小さなメモ帳に落書きをして遊んでいる光景をよく見るようになった。 クラブはドヤ顔してなんぼ、いやストリートではドヤ顔してなんぼというIKBルールが俺の中であったので、BOCKYにどうせ絵を描くなら堂々とデカイ紙に描きな?と言った。この日から、絵を描く事に関してはど素人だったBOCKYのペインターライフが始まる事になる。俺のLIVEがある時は、毎回オーガナイザーに頭を下げて、LIVE PAINTをやらせて頂いた。 一年、二年もこの活動を続けていくと、暇潰しの落書きから、立派なBOCKY ARTが確立していくのが、絵心が全くない俺にもわかるようになってきたし、周りの評価もどんどん良くなっていき、BOCKYの顔付きもアーティストに変わっていった。 当時、一世を風靡したドラマIWGPで西口公園で山ピーが絵を描いてて、そこにわちゃわちゃ仲間達が集まるそんなシーンを思い出して、これを俺達の好きな池袋で再現したくなって、すぐに行動に移した。 池袋の西口駅前にHMフラッグを掲げ、スピーカーで爆音でHIPHOPを流し、CDを並べて、物販コーナーもつくり、BOCKYはちゃんとしたキャンパスに絵を描いた。俺はマイクを持ちながら、これがIKBカルチャーだ!テキーラもあるぜ!一緒に遊ぼうぜとシャウトしてた。 今流行りの円になってやるサイファーとは違う、俺達はここにいるぜ!みたいなドヤ顔満載なIKB STYLEだった。 警察や不良の方々にも、ドヤ顔すぎて目をつけられていたけど、10代の頃、カラーギャングというチームで揃いのバンダナを巻いてサンシャイン通りに溜まっていた俺は、このドヤ顔スタイルがIKB STREETの原点だった。 通行人には多少白い目で見られたが、仲間達とひたすらストリートで大騒ぎするあの時間は、10代の頃にタイムスリップしたような感覚で新鮮だった。 そんなIKB STREETを続けてるうちに、ある時BOCKYがスピーカーから流したインストが凄く気になったんだ。 これ誰のビート? 恥ずかしそうにBOCKYは自分のビートと答えた。 やっぱりこいつの感性は素晴らしい。 このビートで俺曲つくるわ。 このBOCKYが流したビートが、今作のNEW ALBUM NODUSの製作がスタートした瞬間だった。 ちなみに、このビートがYouTubeにPVもアップしたL.L.Lのビートだ。 IKB STREETを駅前でやってるうちに、自分達の城を構えたい気持ちが強くなって、2015 11.8にHUMANMUSICのアンテナショップ、nodusもオープンする事が出来た。 仲間達と皆でお金を出し合って、解体作業から、ペンキ塗り、ほとんど手作りで自分達の城を仲間達と完成させた。 これも俺達のひとつの夢だった。 NODUSという名前は、DJ DAIがつけてくれた名前だ。 絆という意味だ。 自分と仲間を信じて、池袋に誇りをもって、このタイミングだからこそ、つけられた名前だと思ってる。 shopの名前もnodusだったけど、BOCKYとアルバムのタイトルを決めるときも、迷わずNODUSだった。 音楽でしか表現できないNODUSを表現したかったし、俺とBOCKYが共に歩んできた道のりはNODUSそのものだったからだ。 即決だった。 このアルバムには、俺とBOCKYのNODUSが全て詰まってる。 ビートも全部BOCKYだし、アートワークも今までのBOCKYの集大成だ。 是非、CDを手にとって16PのBOCKYのアートブック、そして俺のリリックに込められたNODUSを感じて頂きたい。 今まで出した俺のアルバムは、全てRAIZENの自伝のようなもの。 ネガティヴにいうと、遺書みたいなものでもある。 ろくでなしが、ろくでなしらしく、必死に生きてきた俺の全てが、愛が詰まってる。俺にとってアルバムは宝物だ。 俺がもし死んだとしても、すべてアルバムに俺の想いが詰まってる。 死んでから美化される作品もあるが、俺はまだまだ生きる。 ストーリーを進めていく。 愛する仲間達と。 最後まで読んでくれてありがとう。後は、ALBUMを聴いて感じてください。 皆に幸ありますように。

 
 
‪"NODUS" RAIZEN × BOCKY ‬
 
‪形ないものこそ廃れる事はなく目には見えない2%の"真実"なのだ。‬
 
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‪CD(16Pアートブック)‬
 
L.L.L / RAIZEN × BOCKY (Directed by HAVIT ART)