< リベラル 戸田の会 >~寛容と対話の共生社会へ                   代表 川田のぶやす -8ページ目

< リベラル 戸田の会 >~寛容と対話の共生社会へ                   代表 川田のぶやす

戸田市の政治状況をもとに日本国および日本人の本質を明らかにしていきたいと考えています

地方財政

確かに、企業を中心とする経済社会(市場社会)においては効率を重視した競争原理のもとに活動せざるを得ません。そこには大なり小なり、資本という力の論理が作用せざるを得ない厳しい環境があり、そこに存在する人間は生産力、財政力の有無によってその人間の評価が決定されざるを得ないということになるのが現実です。もちろん現在ではその行き過ぎ、不条理さが顕在化しておりその是正の要請は急務ではありますが、基本的にはかかる原理に従わざるを得ないということは間違いではないでしょう。

しかし、これに対して、家庭や地域共同体を中心とする共同社会(地域社会)においては、市場とは全く異なったルールのもとに運営がなされなければなりません。それは、構成員の自主性、ボランタリティを核とした協力原理が妥当するものと考えます。ここでは資本という力の論理ではなく、各人が同等であることを前提に相互の協調と対話に基づいて運営がなされることが予定されているのです。そしてこの社会においてはいわゆる思いやりや優しさなどという≪他者に対する共感力≫がその人間を価値づけることになると考えられます。

ただ、この2つの社会のいずれかが他方に対してより優越した価値を持つというものではなく、どちらの社会も人間の存在には不可欠であり、両者の存続がうまく調和されていることこそが大切なのだと思います。そして公共の立場から、それぞれの社会の機能を適切に調整し、その併存を確保する役割を担うのが、地方政府における財政であると考えるべきです。これにより単なるホモエコノミクスに留まらない、ホモサピエンスとしての人間の重層的、多面的存在を保障することになり、各人の幸福の実現により深く寄与することになると考えられるからであります。

この点、現在の地方財政の在り方を考えると、本来、2つの社会の調整という公的役割に適切に対応すべき立場にある財政が、いわゆる民営化の風潮に押し流され、これを無批判的に受容してしまい、結果的に、財政が市場の論理によって浸食されてしまうという不健全な事態に陥っていると言わざるを得ない状況であります。この意味で近時盛んに利用されている「指定管理者制度」は大きな見直しを図らねばならない問題の一つと考えられます。

そこで、地方社会、地域コミュニティを復権、再構築することにより、市場の暴走に歯止めをかけていくこと、グローバリズムの名のもとに、ルールを食い破って暴走する市場に抑制を働かせることにより、逆に市場を健全に機能させ、その本来の役割を見直させるようにすることが今、求められているものではないかと考えます。