今日は、義母を車椅子ごと、階段を5段ほどあげ、後に下ろした。

最初は3人がかりで、下ろすときは4人で、乗ってる方も大変だろうけど、運ぶ方も、大変だった。

夕方、手伝ってくれた1人から電話があった。その場にいたので思わず、手伝ってしまったけど、はじめてのこと、慣れない者が手伝って、義母が怖かったのではないか、迷惑をかけたのではないか、と。


義母は、大丈夫だと、伝えた。

それから、私が嬉しかったことも。


義母が病になり、車椅子になり、主に世話をしているのは、私だが、押すのだって、慣れないととても大変だ。


でも、慣れないもんがせんほうがええやろうから、と言う人が、する気がない言い訳なのか、そうでないかは、すぐ分かってしまう。なーんにも、義母の為にする気がない人より、とりあえず、動いてくれる人が、私は有難いし、好きだ。


最初は私だって、知らん、分からん、やりたくもない、でも1つずつ、やって分かってきたので、その一つをやろうとしない人は、永遠に、やらない人だということが、わかる。


私はやる気がありませんと、認めれば良いのに、必ず、私はやる気はあるけど、出来ないからしてないの、わかるでしょって、こちらの承認を求めてくる。

ですよねー、わかりますー、ってちゃんと笑顔で言いますけどね。

こういう人は、自分にはA面しかないと思っていて、B面の存在を、認識していないから、つるんとして葛藤がない。その分自分に自信があって、強気だ。矛盾を指摘しても、その矛盾の存在自体を認めて検証する習慣も知性もないから、決して話が噛み合わない。

ことが、経験でわかっているので、もう、何も話すこともない。


私はちっとも優しくないけど、優しい人が大好きだし、尊敬しているし、かくありたいと思う。嬉しい電話をくれた人のように。