ふるさと荒浜の生い立ち、地名の由来について
私たちのふるさと亘理町荒浜は大きな津波被害を受けました。
そのふるさとの再興に向けて私たちは行動していこうとしています。
そこで改めて、我が荒浜の生い立ちなどについていっしょに考えていきたいと思います。
NPO復興非営利団体わたり・あらはま 理事長 江戸 寿
地名の由来① 荒浜(あらはま)
今から410年前の慶長7年(※1)に、亘理邑主になった伊達成実は、仙台藩主伊達政宗から亘理郡23か村を拝領しました。その中の一つに高須賀村(本郷)がありました。高須賀村には二つの浜(端郷※2)があり、一つが箱根田浜、もう一つが荒浜でした。
「荒浜」は元々「新浜」と書き表していたようですが、何時のころなのかは、はっきりはしませんが、「荒浜」と書き改めたようです。と「風土記御用書出(※3)」にあります。
荒浜は、その昔阿武隈川の河口にできた浜で、高須賀村の人たちは、新たにできた浜なので、「新浜」と書き「あらはま」と呼んでいたのではないでしょうか。ところが寛永8年、14年(※4)と続けて、阿武隈川の大洪水がありました。被害は甚大であったようです。河口にできた浜は、何もなく荒れ果て、草だけが生えた荒涼とした浜になってしまったようです。こうした情景・状態を高須賀村の人たちは、「新」と同じ読みをする「荒」という字に変えたのではないでしょうか。或いは、阿武隈川の河口は大雨の度に形勢が大きく変化したようです。この様子を表す文字「荒」に変えたのでしょうか。何れにしても何時から「荒浜」になったかは不明です。
尚仙台市の宮城野区に「新浜」と若林区に「荒浜」が隣接してあります。また、安永8年当時の荒浜の様子は、人口1018人(男564 女454)戸数221軒(本百姓114軒 名子22軒 水呑百姓28軒 借家57軒)でした。因みに本郷高須賀村の人口は74人(男44 女30)戸数16軒(本百姓12軒 水呑百姓4軒 名子借家0軒)でしたので、如何に端郷荒浜が賑っていたかわかります。
広さは、南は湊口(箱根田浜との境)、北は一軒屋の東(高須賀村との境)、東は阿武隈川の片瀬片側(蒲崎浜との境)、西は横丁(箱根浜との境)とあるので、現在の一丁目・二丁目・三丁目・四丁目が端郷荒浜だったようです。
※1 慶長4年は西暦1612年
※2 端郷の対義語が本郷で、端郷は行政単位として認められた
※3 安永8(1779)年に仙台7代藩主重村の命を受けた仙台藩儒学者田辺希元(良輔)が編纂した風土記
※4 寛永8年は西暦1631年 寛永14年は1637年
(つづく)
このように荒浜の生い立ちについてしばらく連載していきます。乞うご期待!

阿武隈川の上から撮影

3丁目の黄金嶋
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宮城県亘理郡亘理町荒浜字水神63-1
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