「農薬の調合に失敗した」――。かの有名な、松本サリン事件でのマスコミの捏造報道である。当時の記憶では、庭で農薬を調合したとか、大鍋を火にかけたという説も聞いた。今でこそオウム真理教の犯行であったことが明らかになっているが、純然たる被害者の河野氏がこのような発言をしたと当時は報道されたのである。無論、そうした事実が判明したのは後付けであって、当時の混乱した現場で不確定だった情報だけが飛び交っていたのは事実であろう。だから誤報や犯人扱いなどは敢えて責めない。事実が判明し、マスコミは犯人扱いした河野氏に謝罪はしたのだからそれは充分だろう。
 だが、なぜ上記のような根拠のない「コメント」が取れたのか。その構造を詳らかにしていただかねば、「報道機関の検証作業」なる代物も信用できない。


 産経新聞はなぜか今日5月5日に、「安易な匿名発表拡大 報道機関、検証作業困難に 」という記事を掲載した。「安易な匿名発表の拡大が報道機関の検証作業を困難にする恐れも出ている。」とあって理解に苦しむ。匿名報道に反対する意見として、立教大教授・服部孝章氏の「適正な法手続きの下での身体拘束であったとしても、ひっそりとそうしたことが進められることは、社会の『知る権利』を否定するものであるからだ」とする寄稿が載っている。
 被疑者の素性・家族構成・生い立ち・学生時代の様子などが、どのように社会の『知る権利』なのか。事件報道に付き物の「近隣住人の反応」にしたって「ああ、やっぱり」と「まさかあの人が」ばかりである。そんなものが匿名報道によって見られなくなったところで何ら痛痒を感じない。仮に犯人の実名を知ることが「知る権利」だとするなら、少年犯罪や精神障害者の犯罪についてはなぜ知る権利が容易に損なわれ、またそれに異を唱えないのか。朝日伝聞は在日朝鮮人の犯罪に限って仮名報道することで有名であるが、これに関しても同様である。おかげで口の悪い2ちゃんねらーは、匿名報道の重大事件や重過失事故があるとすぐ、キチガイか在日か少年犯罪だなどという言い方をしたりしている。
 そもそも当事者以外にとっての「社会的関心」が野次馬のそれとどう違うのかと思うが、元来報道とは「知的野次馬」なわけだから、警察の匿名発表はマスコミにとっては単なる職業上の不利益だろう。野次馬精神こそ国民の要請であり国家はそれに対し誠実に答えるべきだと書くべきであろう。


 被疑者以上にわからないのが被害者の実名報道である。必ず顔写真と住所、それに年齢と職業(被害者が子供の場合は親の職業)まで出る。子供が事故死し、あるいは誘拐され、あるいは殺害されたというのに、親の職業がどう「検証作業」とやらに影響するというのか。「親の因果が子に報い」とでも言い出す気だろうか。どんな経緯があってか強盗殺人の被害者の実名を、「犯人逃亡の恐れがある」として匿名で済まそうとした警察に抗議して実名発表させる記者クラブにしても、何様のつもりなのだろう。
 もちろん「テレビのチカラ」などのように、実際に犯罪捜査にマスコミが協力し、事件解決に繋がる場合もあるだろうが、それなら警察だって協力は嗇しむまい。だが「検証」は少なくとも犯人が逮捕されてからだって遅くはないはずである。神戸の児童連続殺傷事件で「黒い車の男」だの「白い車の男」だのってのは、マスコミがどう検証したというんですかね。


 人権に配慮して被害者は(当人達が望むなら)一切匿名にせよ、などということを言うつもりはない。ある事件の被害者先であり報道被害に遭っていても、別の事件に際しては野次馬精神を持ってしまったりするものである。となると「せいぜい常識の範囲で」としか言い様がないだろう。(尤も、近年のプライバシーの概念のインフレのせいで、その「常識」もマスコミ不利の方向にシフトして言っているようだが)。

 ただし付け加えるなら、そのような認識からすれば、少なくとも逮捕されるだけの疑いはある被疑者のプライバシーを知ることには躊躇いはなくとも、(取り分け何の落ち度があるわけでもない)被害者のプライバシーを弄ぶには、些かの呵責が生じるということになる。

 マスコミ人や、それを享受する大衆は、その呵責を受け入れるのが、せめてもの被害者への礼儀であり恥じらいではないかと思うのだがどうだろう。その呵責を正当化するために「報道機関の検証作業」を持ち出したり、某自称元記者bloggerのように「問題性」やら「亡くなったことの最後の証」などと言って正当化するのは、むしろ卑しいことのように思えてならない。


 ところで産経は、今日の「正論」に竹内久美子などを起用して、貴族が戦場に立つのは名誉を得るためで、名誉を得れば子孫を残しやすいからだ、とかいうトンデモ説を書かせている。竹内久美子はインテリ志向の大衆相手に知識のバッタものを売る香具師学者だと思っていたが、この記事を読む限りではどうやら真性らしい。
 産経新聞も、社内や読者にバカが伝染らないうちに、こんなオカルトもどきとは手を切った方が良いのではないか。