自分には好きな作家がいる。
又吉直樹という小説家が好きで、
その好きになったきっかけの作品は、芥川賞を受賞した火花ではなく、「劇場」という小説だった。
最初の1ページ目を読んだ時、「お笑い芸人が書いた本」という色メガネは一瞬で外れた。
小説家よりも小説家だった。
又吉直樹が出してる新書で「夜を乗り越える」という本がある。
そこでなぜ本を読むのか?というテーマに言及しており、「共感と感覚の発見」と提唱している。
この劇場を読んだ時、主人公の永田に共感をした。
それは、この気持ち分かるというような断片的な共感ではなく、
人物としての核の部分の共感だった。
自分と同じ感覚の人がいる。
自分と同じ卑屈な人間がいる。
自分のために書かれた小説だと錯覚するほどに。
又吉は太宰治好きを公言していて、
「人間失格」を読んだ際に、自分と同じ感覚の人間がいると同様のことを感じたという。
好きな作家太宰治ってカッコイイなと思った。
そして、それが見栄じゃなく心の底から口にできているところがよりカッコイイなと思った。
又吉の書いた小説に自分の近いものを感じ、
その又吉が、太宰の感覚と近いというなら、
自分も太宰治好きを公言できるのではないか?
という邪な気持ちで読んでみた。
結果、ものすごくおもろしかったけど「劇場」を読んで感じた核からの共感はなかった。
そんな時、見栄ではなく自分も心から好きだと思える作品と作家に出会った。
それが夏目漱石の「こころ」だった。
「こころ」と「人間失格」は日本でもトップレベルに売れている言わずと知れた2大文学作品。
自分は太宰ではなく、漱石派だったんだということに気づいた。
こころを読もうと思ったきっかけは、
平野啓一郎が出した「本の読み方」という本を読んだのがきっかけだった。
こころの1部を抜粋して紹介したあと、
「文豪の小説だけど、読みやすいんじゃないだろうか」
という趣旨の言葉通り、読みやすく、現代文の授業のセンセーショナルなシーンの印象が残っていて、
気になっていた。
上・中・下という構成になっているため、さぞ分厚いのかと思ったら、一般的な小説のボリュームだったので、読んでみた。
1番の旨みである下よりも、文学的に読んでいて高揚したのは上だった。
漱石の文学には、筋書きの面白さと、反対に書かれていない部分をどう読解するかという両面の面白さがある。
歴史的背景や当時の社会情勢から読み解いたり、
この表現はあの小説を引用して、
というような裏のある小説ではなく、
単純に筋書きを味わうことと、
あれってどういう意味だろう、どう解釈しただろうというのを議論できるという所に、自分は惹かれた。
漱石の文学は書かれた年代によって、本当に同じ作者が書いたの?!
と思うくらい、作品によって毛色が異なる。
それでも、又吉が堂々と太宰治が好きだと公言し、
本当に好きなように、
俺は夏目漱石が好きだと心から思える自分に出会えて嬉しかった。
漱石が残した作品の半分もまだ読めていないけど、
これから読み進めていくのが楽しみだ。