
1998年、フットボール狂のわたしにとって
ドーハの悲劇の1993年に並ぶ忌むべき年です
三浦知良のW杯日本代表メンバーからの落選と
横浜フリューゲルスの消滅
消滅合併などと、ふざけた表現でJリーグは
強硬手段を駆使して一つのクラブを殺した
佐藤工業の経営不振のためクラブ運営からの撤退が
フリューゲルスの消滅の原因の一つではあるけれど
一般的にフットボールのクラブを経営して
純利益をあげることができるクラブなど
Jリーグではほぼ不可能と言ってもいい
それでも多くの企業はJリーグ誕生に賛同して
儲けなどないのに夢に投資をしてくれた企業である
佐藤工業を責める気持ちにはなれなかった
そのシーズン、リーグ戦では低迷したが
合併発表後、破竹の9連勝で天皇杯優勝という
奇跡の快進撃で消滅発表後は敗れることなく
クラブの短い歴史は閉じられた。永遠に。

左ウイングバックならば当時日本最高の選手であった
三浦淳宏 天皇杯で圧倒的な活躍だった
消えゆくクラブの運命を必死に変えようとした
誇り高き主将であった山口
それからわずか6年後、たった6年後
2004年に経営難で合併が決定されたプロ野球球団、
大阪近鉄バファローズを買収しようとしたホリエモンや
東北に新球団を設立した三木谷さんが
1998年の時点で当時と同じくらいの財を築いていたならば
クラブ存続に立ちあがってくれていたならば
フリューゲルスは消滅することなく今でも存在したのだろうか
選手をかき集めながらまったく魅力のないヴィッセル神戸の
つまらない試合を観るたびにわたしは思います
同じ街のライバルが消滅する様を
のうのうと傍観者のように見ていた
横浜マリノスはレアル・マドリーに次ぐ
世界で二番目に嫌いなクラブです
クラブを縮小化してでも存続をしようとしなかった
メインスポンサーながらクラブを守らなかった
全日空の飛行機にはそれ以来乗っていません
人間ひとりができる事なんてちっぽけなものだけど
一つのクラブを消滅させたJリーグの
永遠に消えぬ罪をいつまで忘れずにいよう
