イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

映画「複製された男」を見て、数ヵ月後に小説「複製された男」を読んだ。
画像は映画「複製された男(原題:敵)」 のチラシである。1番目のチラシは「ENEMY」であるが、示唆的である。

映画「複製された男」の原作はノーベル賞作家・ジョゼ・サラマーゴ「複製された男」である。

映画「複製された男」の原題は「ENEMY(敵)」であり、題名から判るように、両者のテーマは異なるといってよい。ノーベル賞作家の名で観客の動員を図ろうとしたのかもしれない。邦題は観客に誤解を与える結果となった。

主人公は映画では大学の歴史講師であるが、小説では中学の歴史教師である。
映画では「カオスは未解読の秩序である」ということがもっともらしく提示される。これが映画のテーマであるかどうかは不明である。
小説のテーマは「作者が新たに提示しているテーマは現代社会におけるコミュニケーションの困難さである」と日本語訳者は述べている。

小説では教師は歴史の教え方として現在から過去に遡る必要があることを述べている。授業の中で「カオス」については取り上げられていない。

映画ではどちらが複製された男(後から生まれた?男)なのか不明であったと思う。小説では歴史教師が複製人間であり、映画俳優がオリジナル人間である。
歴史教師は同日の午後2時に生まれ、映画俳優は午後1時29分に生まれたとそれぞれが告白している。お互いが「正直と誠実」である限りにおいて。

脇役として小説では数学教師が重要な役割をはたしているが、映画では歴史講師のマンション管理人が重要な役割を果たしている。

映画では蜘蛛が登場するが、小説では登場してこない。

映画では妻は妊娠しているが、小説では妊娠していない。

小説で歴史教師はビデオを見て、自分と瓜二つの人物が登場し、仰天し、俳優の名前、住所などの探索を始める。まず俳優名を調べ上げ、電話帳から同じ姓の三人の存在を知り、それぞれに電話するが、歴史教師とは別の男からも同様の電話があったことを知らされる。これは伏線であることが最後で判る。
映画ではそういう場面はなかったように記憶する。

小説でも映画でもなぜ、どのようにして複製人間が誕生したのか不明のままである。後天的な傷も両者にある。同じ傷は同時に生じるのか?
オリジナル人間がが死ねば複製人間も死ぬのか?複製人間が死ねば、オリジナルも死ぬのか?

複製人間はひとりであるはずはないのではないか?このことは小説では二人目の複製人間が登場することで答えとなる。映画には二人目の複製人間は登場しない。

最後に登場人物の名前を紹介しておこう。
小説の場合。
歴史教師:テルトゥリアーノ・マッシモ・アフォンソ
その愛人:マリア・ダ・パス
映画俳優:アントニオ・クラーロ(芸名:ダニエル・サンタ・クララ)
その妻 :エレナ・クラーロ

映画の場合。
歴史講師:アダム
その愛人:メアリー
映画俳優:アンソニー
その妻 :ヘレン

ここまで書いてきて、映画のホームページを見ると、ネタバレで映画の主題を監督が述べている。興味のある方は以下のサイトを見られたい。
http://fukusei-movie.com/news/?page_id=70

結論として映画と小説は全くの別物である。映画を見た方に小説を勧める。
小説を読んでいる途中で頻繁に睡魔に襲われたが、もう一度挑戦するなら、映画より小説である。とは言いつつ、ジェイク・ギレンホールを好きだから、時間的な余裕があれば、立誠シネマで1月10日から1週間限定で上映されるので見に行くかもしれない。