。。。ご無沙汰しておりました…


…とりあえずは普段通りの生活をしています。
ハックルベリーですm(_ _)m



すっかり日の入りが早くなりましたねぇ。。
…若い頃はこの季節、日が暮れても投光器を焚いて仕事をしていたコトもありましたが、

雨と暗闇で仕事をしてもあまりいいコトはない

という経験上の理由で、ここからの季節は日暮れとの鬩ぎ合い、時間に追われながらなんとかやっておりますm(_ _)m




この前の記事で
家庭の事情により、約束をすっぽかした件について謝罪を簡易的にしてしまいましたが。。。

事情はどうあれ
本当に申し訳ありません
でしたm(_ _)m


ここからは言い訳みたくなりますけれど。。。



その『家庭の事情』ってのは、ボクの母親が乳がんになってしまいまして。。。
しかも都合の悪いことに、イベントの前日がオペ日…検査で別にガンが見つかりましてオペが2日ズレるというコトに。。。

結論から申し上げますと、
今のところリンパ節などへの転移もなく、左乳房全摘出で一応無事でしたm(_ _)m

…ただ細胞検査によると"トリプルネガティブ"というタイプで、比較的転移しやすいという結果でして。。今後転移が5年間みられなければ根治の判断という医師の話でした。。。

…いきなり母親の余命を告げられる覚悟でいたので、まぁひとまず安心はしましたが…

とりあえず本人はすっかり元気ですψ(`∇´)ψ



ご迷惑をおかけしました。。





。。。またいつものようにここから長くなりそうなので、興味のない方はすっ飛ばしてください…

…近々の親族が命の危機に晒されるみたいなコトがあったもので、こんなボクでも少しだけセンチメンタルな気分になりまして…夜、夜中にこんなどうでもいいコトを書いているという訳です。。


。。。


…どうしてだかは全くを以ってわからないのですけれど。。。ボクは子どもの頃から『死』というモノに興味…正確に言うと。。その存在みたいなモノを身近に感じてきました。

…親類縁者が粗方早命(そしてその殆どがガン)だというコトもあったのだとは思いますが…

『死』はすぐ隣にあって、その時がくればソレはいつでも自分に訪れるモノ…
『生』と『死』は表裏一体で、真逆のモノ…

と、言うよりは、最初からボクと混在しているモノとして(この歳になった今、言葉として言うならというコトですけれど)漠然と、その存在みたいなモノを感じてきました。

思春期の頃になると、ボクは40歳くらいには死ぬんだと勝手に思っていて、
死ぬというのは『結局は最初から決まった運命みたいなモノ』として考えていました(その頃とは少しだけ違いますけれど…オッさんになった今でも、そして漠然と死ぬ筈だと思っていた40歳をもう4年も過ぎたけれど…根本的にはその考え❓は今も変わりません)。



19歳の頃。。。たまたま出かけた先の駅のホームで、その頃のボクと同じくらいの歳の女性がボクの目の前で電車に飛び込んで亡くなってしまうという場面に遭遇しました。。。


…コレも運命なのだろうか。。。

…それとも(彼女にはそれは大変な理由があったとは思うけれど…)目には見えない境界線のようなモノをたまたま踏み越えてしまっただけで、もしかしたらそのラインを超えずに何事も無く電車を待って、いつものように誰かに会いに出かけのだろうか。。。

。。ガンなどの病気で亡くなった親戚をみた時に感じた
『コレは運命なんだ、最初から決まっていたんだ…』というような『死』ではなく、
突然、ほんの数秒前にはキチンと存在していたモノが一瞬で消える…無くなるという感覚の『死』を眼前にしてまだ若かったボクは少し混乱しました。

。。あまりこういった話をすると色々な考えや価値観があるので或いは怒られてしまうのかも知れないけれど。。。

『死』=『運命』みたく考えていた(正確に言うと考えていた訳ではないけれど)それまでのボクとは"何か"が変わってしまった感覚を覚えました。

もしかしたら…
それまでのボクはその瞬間に一緒に消えてしまったのかも知れません。。。


それまでのボクもそこそこの読書好きで、主に読むモノと言えば小説が圧倒的な割合を占めていました。推理小説は子どもの頃からずっと好きで、かなりの数を読んできましたが、
その出来事を境にして、死や魂や運命をモチーフにした小説、哲学書やその哲学者の解釈書、精神世界の解釈を解いたモノ、量子力学の解説書などを読むようになりました。

日本を代表する小説家、村上春樹氏の本を読むようになったのもその頃のコトですが、いくつかの作品を読むと、(烏滸がましい話ですけれど)共感❓似たような考え方❓を持った人だと感じました。

氏のとある作品に、
『まるでどこか遠くから伸びてくるものすごく長い手によって自分がしっかりと支配されている気がするのよ』という描写があるんですけれど、
ボクが感じていた感覚はソレにかなり近いと思いました。
それは運命であったり死であったり、時には付き合っている彼女であったり、姿と形を変えてしっかりとボクの中に、或いは村上氏の言うようにどこか遠くから伸びた手。。見えない糸…電波みたいなモノかもしれないけれど、ソレはいつでもソコに在るという感覚を持っていました。

…こんな話をするとかなりヤバい奴だと思われるかもしれないですけれど。。ボクは至って凡庸な人間です😅👍

ある程度その境界線、分水嶺みたいなモノは実際に目に見える形で、目に見えなくとも感覚的にその存在を認識するコトができます。

。。例えば先の話の電車であったり、たくさんの車が走る国道であったり、高いビルの屋上のフェンスであったり、鋭い刃物を喉元に当ててみたときに感じる恐怖❓であったり。。。ただ…

その電車の一件を目の当たりにして、
ソレは偶発的に起こったモノなのか❓
それとも自発的に起こったモノなのか❓
或いは運命的に起こったモノなのか❓。。。

…もしもボクの数十cm先に存在していた彼女が何某かのオーラのようなモノを発していて、ボクがソレに気がついたとして…彼女の肩を掴んだとしたら…今でもどこかで存在していたのだろうか❓
…それとも村上氏の言う『どこか遠くから伸びてくるものすごく長い手』に絡め取られて、その瞬間でなかったとしても同じ結果(若しくは運命)になっていたのだろうか❓
…もうその答えみたいなモノはこの世界には存在していません。。

前の記事にもちょいちょい書きましたが…

それからしばらく経ったある時、
量子力学者エルヴィン・シュレディンガーの思考実験、いわゆる『シュレディンガーの猫』の本に出会うコトになりました。

キチンと説明(そもそもキチンと説明できない未解決問題なんですけれど)しようと試みると、そりゃもうこの文章の長さの比じゃあなくなるんで、簡潔に言うと。。。

量子力学(コペンハーゲン解釈)の世界では、
2重スリット実験の結果から
"粒子は様々な状態が『重なり合った状態』で存在しうる"
という理論を構築しました。
そして、
『重なり合った状態』は観測機器で観測するコトによりいずれかの状態に収束する‼️
と決めました。これが量子力学の『確率解釈』と呼ばれるモノです。

…詳しくはググる先生に聞いて頂くとして。。。

量子力学者だったシュレディンガーはこの解釈の矛盾点を指摘する為に、ミクロの世界で起こっている『重なり合った状態』という解釈の矛盾をマクロの世界に置き換えて思考実験として量子力学の世界に一石を投じます。

…詳しくはググる先生に聞いて頂くとして。。。

極々簡単に言うと…

実際の実験で得られた結果を鑑みると、どう考えても粒子は観測された時点でその状態が決まるとしか思えない。。。仕方ない…そう決めようよ、そうしよう。。。だってこの実験結果があるんだのも、それしか考えらんないよね…的な感じで量子力学者達は、『粒子は観測されていない状態では1:1で重なり合った状態にある』と解釈した、というコトですね😅

一体全体『重なり合った状態』とはなにか❓
どちらでもなく、どちらでもある状態。。。
そしてそのよく分からない状態の粒子が、観測された時点でその状態を決める❓

そこでシュレディンガーはこんな思考実験を考えました。

1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性原子と、
原子の崩壊を検知すると青酸ガスを発生する装置、そして生きている猫をブラックボックスにまとめて入れます。

。。2重スリット実験で言うところのブラックボックスは未観測の状態を、青酸ガス発生装置はスリットを、そして猫はスリットの向こう側の壁を、マクロの世界で思考的に置き換えたモノですね👍

観測された時点でその状態が決まる、のだとしたら、そしてその解釈に基づいて言えば、ブラックボックスの中には50%の確率で
青酸ガスを吸って死んでしまった猫と
そのまま何事もなく生きている猫の両方が重なり合った状態で存在しているコトになるよね❓
生きている猫と死んでしまった猫が重なり合った状態で存在しうる❓
コレってばおかしくなーい😏❓

挙足取りみたいな話ですけれど、おおまかに言うとコレが『シュレディンガーの猫』と呼ばれる思考実験です。

。。。あくまでも思考実験なんでコレを現実的にやってみるなんてコトはできないけれど、その思考実験から後の大学院生だったヒュー・エヴェレットは

確かに‼️

ソレならさ、生き残った猫がいる世界と、猫が死んでしまった世界の両方が並存してるってコトになるよね❓そーだよね❓ソレって世界はどんどん分岐してるってコトになるんじゃあないの❓どーなのよ❓

。。あくまでもイメージですけれど…

こんな感じでエヴェレットが考えた定式をもとにしてブライス・デウィットは『エヴェレットの多世界解釈』を提唱しました。


…眼前の、ボクと同世代の女の子が消えてしまった世界。。。
…何事も無く電車がホームに入り、何事も無く彼女もボクも電車に乗り込む世界。。。
…彼女のサインみたいなモノに気がついて、ボクが彼女の肩を掴んだ世界。。。

例えば『多世界解釈』のように(正確に言うとちと違うんですけれど…)いくつもの結果❓が分岐して、それぞれの世界が出来上がっていたとして、結果今のボクは…今ボクがいる世界しか認識できないのならば、そもそもそんなコトなんてどーでもいいじゃないか。。と考えれば何の問題もなかったのでしょう…

でもその出来事は、明らかに今までのボクを別のボクに変えてしまいました。

もしかしたら、電車に飛び込んで突然ボクの目の前から消えてしまったあの誰かも分からない女の子は、
『遠くから伸びてくるものすごく長い手』だったのかも知れない。。若しくは、別の世界に移行させる為にボクの前にいたスイッチャーだったのかもしれない。。。



…もしかしたら自分の母親が死んでしまうかもしれない世界に偶然❓いたボクは25年前に起きたその出来事を病院の家族待合室で突然思い出しました…

少々言い回しに違和感はあるけれど。。
最初から『死』というモノをある意味認めてきたこんなボクでも身内の死(実際は家族と呼ばれるカテゴリーの人間は今のところ皆元気だけれど)はきっと…やはり悲しいし、自分が実際にゆっくりと死んでいくのだとしたらきっと怖くてたまらないのでしょう。

コレだけ長々と書いてきてアレなんですけれど…


。。予め運命みたいなモノが決まっていたとして、例えば死が悲しいモノなのだとしても、そしてその遠くから伸びてくるものすごく長い手に既に捕らえられていたとしても、その存在を身近に感じるコトはあるにしても…正確に感知するコトはできないし…それならば今ボクが存在しているこの世界を、死が訪れるまでただ生きていこう。

。。コレがボクが母親の手術中に考えたコトでした。



。。。



なんの話❓一貫性なくない❓というクレームはごもっともですが。。。

そんなコトを真面目に考えるお茶目さんだと思って勘弁していただきたい😆🙏


さて…誰かがボクを呼んでいる声が聞こえるような気がします。。もしかしたら別の世界のボクの声なのかも知れない…それとも19歳のあの夏の日にボクの目の前で突然消えてしまった女の子の声だとしたら少しホラーだな。。。

…まぎれもなくこの声は
この世界では『睡魔』と呼ばれるモノの声だ。

明日の朝起きたらまた今ボクが微睡んでいるこの世界とおんなじ世界に戻って来られるかな。。。

できればこの世界がいいなと思うけれど…