改めて想う。

これまで、あまり外に出ず、今の仕事に専念してきた。
単純に忙しいのと、前職関係の人と会いすぎると前の仕事に戻りたくなるのと、自分の会社と仕事を卑下してしまいそうだったからである。


それがいかに自分のキャリアにマイナスだったことか。

この10年、もし無為な時間だったとしたら、間違いなく人と会わなかった所為である。
他者から刺激を受けなかった所為である。

飲みにいこう





某監査役氏から、過去の発言を見返すようにと助言を頂き、改めてこのブログに、日々の業務を記載していくことにする。

最近の何とも張り合いがない状況を、昨年バーンアウトしてしまった状況を、打破していくためにも、仕事のことをここで書いていくようにする。

正直今は、仕事をする気がしない。
そしてそれは周りも分かってくれている。その状況が情けない。
まずは最低限、自分がやるべき事務処理をこなすこと。
一つの作業の集中時間を伸ばすこと。

積極的に周囲に働きかけていくっことも課題だし、それやんないと皆困るんだけど、今は無理で、できることから一つずつやっていこう。





ここ数ヶ月、iPadでゲームをしてきてたが、
はやりデバイスの限界か、うちの家内事情か、
iPadでゲームすることが難しくなってきた。

難しいという表現が適切なのかどうか。
最初は簡単なゲーム、いわゆるカジュアルゲームをやり、
セトラーズをやり、The Tower for iPadをやり。
そして飽きた。

一時的にはハマるのよ。瞬間風速的は。
最初はハマるのだが、数日で飽きる。
見事なまでに飽きてしまう。
でも、据え置き型ゲームでハマるやつは、なかなか飽きない。
ウイイレなんてひたすらやり続けているし、未だにウイニングポストもやる。
Wiiのマリオカートはお盆休みの間に妻と対戦したし、ネットワーク上でも戦う。

iPadのゲームが飽きるのは何故だろうか。。。

①画面が見にくい。
 そう、意外と画面が見にくいのである。
 セトラーズもThe Towerも、結構見難い。

②コンテンツに偏りが。
 iPadでゲームをするのは、カジュアルなゲームか、シミュレーションゲームのどっちか。
 カジュアルゲームは単純すぎてすぐ飽きる。
 電車の中での時間つぶしには良いんだろうが。
 シミュは、前述の通り、見難いよね。。。

③妻とのデバイスの奪い合い。
 そう、夫婦でiPadを活用している。
 妻がヒマなときは妻が奪っていく。

④デバイス内での争い
 妻が家事をしていて俺が暇なときにゲームをする、というわけではない。
 ツイッターもチェックするし、Webも閲覧するし、ビューンで雑誌も見る。
 ゲーム以外のアプリとの時間の奪い合いである。

と考えてみた。
うーん、やはり③か。③と④のせいで、ゲームから離れると、一時的に熱が下がる。
熱が下がったときに改めてプレーしようと思うかどうかがポイントか。
サッカーニュースが取り上げられればウイイレをするし、
競馬がネタになればウイポをするし、
二宮のCMを見ては、妻とマリオをするし、
ということか。
結局はネットワーク外部性的なところに答えがあるのかも。w
先週、労働白書がリリースされた。
その中で、いわゆる日本的雇用・終身雇用を奨励するかのような提言があった。

厚労省も終わってる。

政治主導って言われるが、中身のわかっていない政治家が、
人気取りのためだけに国策を考えるので、正直どうしようもない。
終身雇用が今さら実現できるか。
公務員でもリストラがはじまっているのに。
目指すは労働市場の完全化、でしょう。
職を失った人間が、次なる成長産業、成長職種へシフトしていくのを促進すること。
これが労働問題の最大のポイントである。
そして、ぬるま湯に浸かって生きれる程、人生は楽じゃない、
スキルと人脈を蓄積しないとサバイブできないジャングルに、我々はいるんだということを、
はっきりと国民に示すこと。
落ち着いて生活設計をしたい、なんてそんな贅沢な。
常に自分が何をしてどうやって稼ぐのか生きていくのかを、
真剣に向き合うのが人生であり、
仕事さえしていれば何とかなるって考えるのは、甘えでしかない。

どこにエサがあるのか、常に鼻を利かせて、調べながら切り抜けていくこと。
2003年ごろ、「チーズはどこへ消えた」という本が流行ったが、それと同じこと。

そのあたりの見識が一切なく、失業者が増大していることや、
メディアで問題提起されたからといって、
終身雇用という単語が出てくるのは、
はっきり言って、バカである。

やはり、厚労省には、雇用問題の舵取りは出来ない。

どうしようもなく、出来の悪い部下がいる。
外資系のコンサル会社であれば、すぐにPJから外して使えるヤツと入れ替えすればそれで終わりだが、
うちはただの中小企業だし、労働局に睨まれている都合もあり、
そして僕が管理部門の責任者ということもあり、
出来る限り穏便に事を進めなければならない。
メンドクサイ。

彼女の前職は、うちの同業であり、リーマンショック以後の景気後退から所属事務所が閉鎖⇒解雇となった。
解雇以後、1年近く職探しをしたが、仕事が見つからず、即戦力として期待したうちが拾ってあげたのである。
拾ったはいいが、仕事の出来はさっぱりなのだが。。。

彼女にとって、今の仕事は、何としてもしがみつきたい仕事。
どんなに怒られても、どんなに泣いても、職を継続したい。
彼女自身は、これだけ怒られてボコボコに言われ、全く楽しくないはず。
そう、仕事の中に楽しみはないのだ。

仕事は苦行ではない。苦行としての側面は確かにあるが、
その中に成長と楽しみと喜びが含まれていないと、こうも毎日毎日、会社で長時間拘束されると精神的におかしくなるだろう。。。
僕自身、仕事は楽しくはないが、それでも成長を実感できたり優越感を得られたり、そういうものがあったから何とかやってこれた。

昔読んだ本に「仕事は楽しいか」という本があった。
自分に問うてみる。仕事は楽しいか、と。
「全く楽しくはない。しかし、ここでしか出来ない経験があること、そして頼られているからこの仕事をしているんだ。」
という答えが返ってきた。
「そして、違う仕事をすることに、不安を感じるから、言い訳をしながらこの仕事を続けているんだろう」
という本音も見えてきた。