5か月ぶりにブログ、復活キラキラしてみます。

 

ご無沙汰しております。はねだめぐみです。

 

空白の5か月については、おいおい

 

書いたり、書かなかったり(笑)していきます。

(どっちやねん、って)

 

すっかり世界や、社会が変わってしまったような、

 

だけど、変わってないような、そんな2020。

 

ごたごたしてる間に、もう9月。

 

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

 

 

ますます生きづらさを感じる人もいるだろうし、

 

吹っ切れて生き直している人もいるでしょう。

 

右肩上がりに成長し続けないと、

 

取り残される風潮は少し、緩んできたのかな?

 

まだまだ緩んできたぐらいでは、

 

居場所を見つけられない人も多くいるでしょう。

 

昭和の時代は、

 

「発達障害」なんて言葉も

 

「HSC、HSP」なんて言葉もありませんでした。

 

今じゃほとんど聞かなくなったけど、

 

「あいつはノータリンだから」「ガイジだから」

 

と差別用語でいじめられてきた子供が、

 

令和のいま、

 

「大人の発達障害」「HSP]と呼ばれてる

 

感じでしょうか?

 

そう、いつの時代も

 

普通に見えて、普通に出来ない、

 

ちょっと抜けすぎている、

 

ちょっと凝り固まりすぎている、

 

そんな人は結構、身近にいて

 

それなりに助け合ったり、

 

はたまた、壮絶な差別を受けたりしながら

 

共存(?)していたのではないかなぁと。

 

平成、令和、と時代を経て、

 

家族の在り方や、関係性が

 

少しヘタクソな、

 

愛の受け渡しがヘタクソで、

 

愛の受け渡しに失敗しがちな、

 

親子関係が増えて、心のエラーを起こす人の、

 

なんだろうな、

 

失敗具合が加速してる、

 

失敗の精度が上がってる(笑)

 

そんなのの精度上げちゃってどうすんの?

 

って感じではあるけれど、

 

増えてるっていうより、

 

失敗の純度が上がってる感じがします。

 

 

一人ひとりの、傷の深さが

 

えぐくなってるとでも、言いましょうか。

 

でも、それは悲観的になることではなく、

 

闇の部分が明るみに出てきたような、

 

救いの方向性が定まってきたというか、

 

そんな風にも思えてきています。

 

 

発達障害やHSPが認知され始めている一方で、

 

雇用の条件は厳しくて、

 

社会に居場所のない人がどんどん増えていってる。

 

 

だったら、自分で居場所を作っていくしかないんだけど

 

そうゆう方たちは、自分の力を持て余してる。

 

いわゆる肯定感が低く、

 

何においても自信がなく、

 

人目や失敗を異常に恐れて、

 

動けないままでいる。

 

 

なんで、そうなのかなぁと考えてみたら、

 

「子供のまま」

 

なんですよね。

 

これは発達障害などの方に限らず、

 

生きずらさを感じているすべての人に言えること。

 

 

愛を存分に感じ切れなかった子供時代を

 

やり直さないと、

 

頭で知識で、なんとかなる問題ではないのです。

 

 

あくまで、わたし一個人の意見ですので

あしからず。