久しぶりのブログ。
子ども問題に直面したときはこんなこと考えてもみなかった、というよりは考える余裕がなかった感じ。
でもね、本当はすごく重要でここを紐解いていければ子ども問題解決の近道なの。
父、母、父方祖母、姉、私、弟の5人家族で両親は共働き金銭的な余裕はあまりないような家庭でした。
私は小さいときの記憶はあまりない、姉や弟が不思議がるぐらい。
共働きの母の帰りを待ちわびて玄関に走っていくのはいつも私だけ。ただ話を聞いてほしくて・・・
「お母さん、あのね、お姉ちゃんが・・・」
「また~、お母さん仕事から帰ってきたばかりで疲れてるんだから。今からご飯の支度。忙しいの、後にして!」
私の記憶ではこんな感じでいつも話を聞いてもらえなかったイメージ。
母は仕事、家事、祖母の介護で一年中疲れていた感じだった。
今の私なら
「そう、疲れてるんだよね、またあとで話聞いてね」
ですむ話。
小学校4年生の私は寂しくて、
お母さんの機嫌が悪いのは私のせいかな?
何か悪いことしちゃったのかな?
お手伝いしないでテレビ見てたからかな?
きっと私のせいだ。。
小学校5年生からおねしょをするようになり、1年間も続いたの。
今と違って「なんでおねしょするの!水の飲みすぎでしょ」 っていう感じの対応。
夕食以降は水分禁止、20時には私だけ布団に入る。ほかの家族はテレビ見て笑ってる。
私は布団の中で悔しくて悲しくていつも泣いてた。。
だって、自分で考えてもなんで漏らしてしまうのか。
全くわからなかった。
だからどうすることもできなかった。
ただただ、また母に迷惑かけてる
自分は最低だ。。
嫌われて当然だ。。
小学校6年生の時はクラス全員から1か月無視されたの。
理由はクラスでリーダーの子をより足がはやかった私がリレー選手に選ばれたこと。
もちろん誰にも相談できない、姉にも母にも。
無視されてるなんて恥ずかしい、心配かけちゃうし。
人に頼ると迷惑かけるって思うようになってた。
周りの空気読まないと、無視される。。
同じ時期、寝たきりになってた祖母の介護していた母を少しでも息抜きさせてあげたくて、笑ってほしくて。
足が拘縮して、床ずれのある寝たきりの祖母のおむつ交換や食事を私が代行して母には相撲観戦したりショッピングする時間を作ってあげた。
「たまには、ゆっくり出かけてきなよ。私がおばあちゃん見てるから大丈夫だよ」
「ありがとう」
このありがとうを聞くために、あの手この手で頑張っていたんだね。
ほんとは姉や弟みたいに私だってやりたくなかったよ。
私が子どもの時、自分で考えていたこと、水色で書いた文字。。
ムスコがいつも私に泣きながら訴えていた言葉だった
私はその言葉を聞くたびに、苦しくて聞きたくなくて。。
考えすぎだよ、
そんな事ないよ
ってごまかしてた。
忘れ去っていた自分の小さい頃の苦しい記憶にムスコの言葉が触れた瞬間だったのね。
子どもは自分の辛さを教えてくれる、かけがえのない存在。
だからそこから自分が抜け出すことが唯一の解決方法なんだよ。
ムスコじゃなくて、自分。。
小さい私は大人のフリして必死に頑張ってた
辛くて、寂しくて大変だったね。
もう頑張らなくていいよ![]()
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子どもってほんとに健気だよねー、自分のことながらそう思う。
その時の気持ちにタイムスリップして苦しくなってしまう。
今日はここまでで、またどこかでこの続きは書こうかなぁ。
気持ちを感じながらアウトプットってすごい効果なんだよね。自分の分からなかった気持ちまで出てくる。潜在意識にアクセスみたいな感覚よ。
