何を話すかは問題ではない。あなたがどういう人かで、会話なんてものは決まる。そうだ、言葉のやり取りなんてものにはなんの意味もないのだ。
うへー、悲しいね。
自分で書きながら泣けてきちゃったよ。
けど真意だよね。
例えば今この文章を書いてる人間が、
『A)有名な大学教授で博士号も持っている42歳男性』
『B)親の脛をかじり続けている自称家事手伝いのニート35歳女性』
だとする。
見方かわるでしょ?
Aなら良い解釈も生まれるだろうし、Bなら説得力ねぇーってなるかもしれない。
会話もこれと同じ。
言葉の意味より、自分がどういうスペックかで相手は判断する確率の方が圧倒的に高い。
だから世の中にはコミュ症なんて言葉もあるけど、コニュニケーション能力磨くより周りがひれ伏してくれるような肩書き手にいれる方が楽っちゃあ楽。
自宅で出来る株トレードでも年収一千万もあれば、勝手に人が寄ってくるからね。
『悲しい。』
の一言より、涙を一つポロリと流す方が相手に伝わる情報が多いというわけです。
これに気づいた時の絶望感…半端なかったなぁ。
言葉以上の意味にとられるのも、以下の意味にとられるのも、まだまだ苦痛です。
しかしながら、世界は広い。
こんな自分でも等価で言葉交換してくれる相手がどこかにいると信じてます。
いや、思い込んでいます。