夏ぶりの投稿になりますかね。
ちょっと近況でも書いてみようかと思います。
以前に東京の企業に内定をもらったと申し上げたのですが、
あれからもう少し就活を続けまして、結局愛知の企業に就職することにしました。
当初から第一志望の業界はメーカーだったので、
そのメーカーから8月の終わりに内定を戴けましたので4月から愛知に行きます。
寮も決まっていて、3月の末に大阪を離れます。
以前の企業の内定から大阪を離れることは決まっていましたが、
こうしてその日が近づいてくるとやはりさみしいものがありますね。
家電もある程度の家具もそろえ、引っ越しの予約も済ませました。
3年半続けたバイトも辞め、来週に卒業旅行も控えていて、
こうして学生としての生活が終わり、新社会人として社会に出ていくことへの、
そこはかとない不安とさみしさと、一抹の期待です。
自分で望み、決めたことなので弱音を吐くのはお門違いかもしれないのですが、
やはりどうしてもうまくやっていけるのかという不安が一番大きいです。
それでもご縁があって入社することができるので、頑張らないといけませんね。
卒論も無事終わり、卒業が確定しました。
ちなみに卒論は【キルケゴール‐『単独者』概念再考】というテーマで、
2万字のものになりました。
夏に就活が完全に終わってから書き出して3か月で納得のいくものになりました。
やはりこの大学4年間で学んだ、宗教哲学・組織神学は、
私の考え方を変えてくれたし、新しい視野を与えてくれました。
キルケゴールの著書『おそれとおののき』、『死に至る病』を基に、
先行研究などから彼がオリジナルで唱えた『単独者』概念とは何かをまとめたものです。
授業の中で一番興味を持ち続け、勉強をしたいと思えたのはキルケゴールでした。
彼を学ぶうちに、「自分とはなにか」、「ひとりになることとはどういうことか」を
自分なりにまとめられ、この学生生活の集大成とすることができたのです。
2年前、私の人生の中で最もつらい出来事がありました。
父の死です。
それを乗り越えるグリーフケアの機会を与えてくれたのが大学で、教授でした。
誰よりも父を亡くしたいたみをわかってくれたのが、教授たちでした。
私の声に耳を傾け、祈ってくれました。
その優しさにどれほど救われたことか。
大学卒業まで見守ってくれた教授たちには感謝してもしきれません。
また私にとっての一番のグリーフケアは留学でした。
2年の春休みに6週間オーストラリアのシドニーに語学留学していたんです。
環境の変化もあり、不眠症をぶり返す結果となってしまったんですが、
向こうの大学の先生から紹介されたカウンセラーと話し、
自分が今まで言葉にできなかったことを毎回のセッションで徐々に形にすることにより、
私なりに心のケアをすることができました。
日本から離れ、新しい環境に身を置くことで素直にその作業ができたのかもしれません。
2年経った今でも、時折父を思い出して涙することはありますが、
それでもよりナチュラルに普段の生活を取り戻すことができたのは、
留学中に集中してケアをすることができたからだということは間違いありません。
その留学も、大学入試前に判明した父のガンの為に言い出せなかった留学に対する希望を、
最後の最後で父が叶えてくれたものでした。
父は完成車メーカーに勤めていました。
私は父の背中を追い、自動車部品メーカーに就職することを選びました。
それは父の見ていた世界を、この目で見てみたくなったからです。
ポジティブな形で、父との新しい関係を築くことを選びました。
今までのお礼と、これからの自分の成長を見てもらいたくなったのです。
家族と恋人をこちらに残していくのは心苦しいし、何より自分自身がさみしいのです。
しかし、決して帰ってこれない距離ではないし、同じ日本です。
大丈夫。そう言い聞かせ、このモラトリアムを楽しんでいます。
この大学に通い、卒業出来てよかった。
卒業したくないくらい楽しい時間を戴きました。
このブログを始めて9年。
いよいよ私は学生を終える瞬間を迎えます。
同時に、このブログを終了するときも訪れました。
当初から、大学を卒業するときに終わろうと決めていました。
最後になりましたが、この場で出会った数々の方々に御礼申し上げます。
13歳で始めた私が、22歳になりました。
中学1年生だった私が、大学を卒業し、大人として生きていこうとしています。
自立し、一人暮らしも始めます。
今まで見守ってくださってありがとうございました。
相談に乗ってくださってありがとうございました。
ここは拠り所でした。
このページは残しておきますし、メッセージは送受信できます。
もうブログの更新はしませんが、私はここにいます。
本当にありがとうございました。
お元気で。