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子どものとき、世界で一番怖いものは、3才年上の兄、隆だった。

誰かに兄を殺してほしいと願っていた。

五歳のときから。毎晩、毎晩。

同じように、神仏に手を合わせて、泣きながら「親を死なせてください」とねがったけど、

兄の場合はもっと能動的で切実だった。

今すぐ、誰かに殺して欲しかった。

私の被害はすぐそこに迫っていた。

兄が死んでこの世からいなくなったら、

私は、どんなかいぶつも、もうこの世に怖いものはなくなると思った。

私が、この世で一番怖いもの、この世で一番消滅を願うものは、兄だった。



兄と物理的にいっしょにいるということは、兄に、物理的に完全支配されるということだった。


ティッシュとれ、鼻拭け、ゴミ捨てろ、テレビつけろ、リモコンで4ちゃんにしろ、テレビ消せ、


コンセント入れろ、布団俺にかけろ、食事もってこい、食器下げろ、ジュースもってこい、


漫画買っててこい。


少しでも渋ったり、「喜んで」兄に従わないと暴力。




それがないときは、プロレスの技をかけられる、兄の自尊心を満たすためだけの話に延々つきあう、


夜私の布団に入って私を抱きしめてくる、


引き剥がしても引き剥がしても、ベタベタベタベタ絡み付いてくるタコみたいに、


兄は私の影みたいに、私が兄の影みたいに、私から兄を引き剥がすことはできなかった。


私は、兄の欲求と要求を具現化するだけの鏡、道具、機械、モノになった。


私は消えた。


私はそこにいなかった。


兄の望みが私が満たすべき私のの望みだった。


兄の要求が私が果たすべき私の要求だった。


兄と私の区別はもうそこになかった。


兄は私だった。


私は兄だった。




私が2歳のときか5歳のとき、姉と兄といっしょに風呂に入っていて、


あそこ見せて、と兄にせがまれて、股開かされて性器に触られた。


それがどういうことなのか、私はその時点で理解していた。


また同じことがおきないため、おきるときのため、


いくら私が何も感じてなくても、何の欲求もなくなっても、何も考えられなくなっても、


物理的即物的抵抗だけはしようと、毎日布団にナイフとはさみを入れて寝た。


絶対仰向けにならないように、熟睡しないように、できるだけ体を縮めて横向きになって寝た。


毎日、眠って無防備になるのが怖かった。


毎日、眠ってなんかいなかった。


毎日、警戒して眠れなかった。


いつの間にか無防備に眠っている自分を見つけると、


だからそんなにだらしないからおまえは食い物にされるんだ、


自分の身も自分で守れないやつは、何されても仕方ないんだ、と自分を憎み、さげすんだ。



兄に触れられると、おぞけと気持ち悪さと嫌悪で頭がショートして、私が消えた。



私が風呂に入らなくなって、臭く、汚くなったのは、兄と、


兄と同じ気持ち悪さを感じていた父の手と関心を遠ざけるため。


キチガイのまねもした。


姉と養護学校の人たちがいたからうまくできた。


私は、狂人を演じているのか、私が狂人なのか、わからなくなった。



そんなふうに日々、異様なテンションでいた私を指して母は、


「お前はいつも楽しそうに笑っていた。だからお前は幸せな子供だった。


だから私たちはお前を幸せにした。私たちを非難するお前は親不幸だ。」


といった。


「私たちは子供を幸せにしている、何も問題は無い人間だ。」



そう思わせるために、日々、感情を殺し、乖離し、私の現実(物語)を殺し、乖離し、


親の現実(物語)を補完していたのに。


小学生のときは、兄と家にいる時間がかぶるため、なるべく家にいないようにしたかったけど、


友達はいないし、いくところもないし、マンションの庭に隠れていても寒いので、


学校から帰ったらまず兄に見つからないうちに家に隠れた。


押入れの中、積み重ねた布団の中、机の下に体を縮めて入り込んで、兄に見つからないように隠れた。




鬼に見つかったら食われる、リアルかくれんぼを毎日してたけど、


私はいつも兄に見つかって、隠れ場所から引きずり出されて、わたしは兄に食われてしまった。




私が人を傷つけるとき、暴力をふるうとき、


私はわたしのなかに、兄がそこにいることを感じる。


私と兄の区別がもうつかないくらい、私の中で兄は巨大になって、


兄の声、兄の臭い、兄の言葉、兄の骨格に私の全てが覆われて、兄が私に成り代わって、


そこにいるのを感じる。




子供のとき、世界で一番殺したかった、「世界で一番怖いもの」は、今は、私の中にいる。



怖いんだ。怖い。怖い。


あれだけ逃げたかったのに、あれだけ殺したかったのに、


私の「世界で一番怖いもの」 から、逃げることも、殺すことも、もう、永遠にできない。



私は、今はもう、わたしを殺さなければならないのだろうか。


子供のとき一番殺したかった兄を殺すため、


私の中の兄を殺すため、私が私を、殺さなくてはならないのだろうか。

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つってもケータイじゃわからんちゃ
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初めて万引きという名の窃盗を犯したのは5歳のとき。


コンビニから消しゴムを盗んだ。


9歳のとき、クラスメイトの私物や学校の備品を片っ端から盗んで、悪友も悪道に連れ込んで


教師にバレて騒ぎになってクラスでつるし上げられた。


それ以降、私をいじめる主犯格の男子からことあるごとに、「泥棒」、「泥棒」、といい放たれた。


私が悪道に連れ込んだクラスメイトは、そういわれて涙ぐんで、その男子は


「こいつはすぐ泣くからやめよーぜ。こいつ(私)はなにしても泣かないから、こいつにいおーぜ」 


といった。


私は臭くて汚くて、なにをいわれてもなにをされても、


「こんなの、家で親にされてることに比べたら、なんでもない。


私は何も感じない。私は何も痛くない。」


と心でつぶやいて、ふてぶてしくスルーしてたので、逆に目の敵にされた。



親に連絡がいって「学校からこんな話きたんだけど」と言われて身構えたけど、


その一言以外何も言われなかったし、親がそれ以上私を見ることもなかった。


いつもと同じように、私なんてそこにいないように、親の話題も視線も私を素通りした。




2,3歳のときから、私が手にするもの、私が触れたもの、私に振り分けられたもの、


物品、食物からすべて、知的障害者の姉に横取りされ、盗まれた。


親は姉の障害と、それ以前に生まれて親と確執を持った兄に、失望とあきらめを隠さず、


最後に生まれた私への、都合のいい期待と希望をあからさまにして、


姉と兄の私への嫉妬と攻撃を煽れるだけ煽り立てた。


兄の攻撃はその後、ある程度親に向かって、家庭内暴力になったけど、


家庭で一番立場も権利も最弱の姉は、親に反抗するなどできず、


自分のストレスが虐待からきているなどという知能を持つこともできず、


親から受けるストレスを全部、私への嫉妬とともに、私にぶつけた。




姉は、私が触れたもの、私が手に持ったもの、私物、すべてことごとく盗み取った。


私の私物をあからさまに奪い、私が興味を示したものは、さも自分の関心のように振る舞い、


私の外見、私の言葉遣い、私の趣味、私の私物を自分のものにし、


私のすべてを必死にコピーし、


「親にあきらめられた自分」から、「親から最後の希望を託された私」に摩り替わろうとしてた。




ある程度親に向かった姉のストレスは、親の財布から一度に何万円もの金を奪うという形で現れた。


姉は竜巻のように、私からすべてを吸い上げ、巻き上げ、


最後には私はいつも、虫に食われた木のように、毛をむしられた鳥のように、


裸一貫という状態になった。


いつからか私は、ものを持つこと自体をあきらめるように、すべてを手放し、捨てるようになった。


何を持っても、それはすべて、姉の嫉妬心によって奪われ、横取りされ、掠め取られ、


チリも残さず姉の嫉妬に燃やし尽くされてしまうだけなのだから、


最初から何も持たないことにした。


何かを所有し、与えられ、得る喜びを抑圧し、捨て、殺した。


私が姉に唯一奪われなかったのは、姉が字を読めない本だけだった。


私が本に閉じこもってると、姉がその周りでイライラしてうろついた。


時には私が読んでいる本を私の手からひったくろうとし、


私が机に置いてあった本を、冷蔵庫とか洗濯機の後ろに突っ込んで隠したりした。


姉は、私が姉の把握不可能な、プライバシーの領域を持つことを許さなかったのだ。


母のように、父のように。


姉は時々、私の保護者気取りで、親が私に投げつける侮蔑の言葉を勝ち誇って私に振りまいた。


「おまえはこんなことをするべきではない。おまえはこうするべきだ。


おまえはビョーキだ。おまえは精神異常だ。おまえはキチガイだ。


おまえは死ね。おまえは出て行け。お前はいらないんだ。」


高らかに笑って。


私が姉に手をだすと、「障害者を苛めるなんて、おまえは人間として最低だ。」


と私が親に手を出された。


何を持ってもすべてを奪われる私は、姉に盗まれない、誰にも奪われないものとして、


唯一、言葉を所有するしかなかった。




姉の嫉妬を理解できる私は、自分が正常者であることに罪悪感を抱いたけど、


自己内省する知能のない姉は、自分の感情のままに動物本能的に、


この家庭で、姉に次いで一番立場が弱い、とみなした私に容赦なく、ストレスのすべてをぶつけた。


なんとか姉と対話を試みた私は、その可能性を捨てた。



親に、「どうしてみさ子ちゃんは、ああなの?」と尋ねたら、


母は私を一瞥だにせず、「ああいう子なんだから、仕方ないでしょ」


の一言で、姉の話題は終わった。



12才ころまで、私は店のものやクラスメイトからや学校の備品、


目に付くもの、盗む隙があるものは脅迫的に盗んでたと思う。



「盗めるものは、盗むべきだ」


とどこかで思っていたかもしれない。



姉にすべてを盗まれて、それを親に「そういう子なんだから仕方ないでしょ」で済まされてて、


なんでそれをしてはいけないのか、わからなかった。



今でも時々、私は身構える。


私は、私に身構える。


また、盗むのではないか、と。


また、どろぼう、といわれるのではないか、と。



他者であふれかえっている社会の中で、他者と自分の境界がなくなって、


他者から吸い上げなければ、私を保てない、他者から吸い上げなければ、


やる前にやらなければ、今度は私が奪われる、という恐慌から、


衝動的に、盗んでしまうのではないか、と。




ある日、学校から帰ったら、母が姉の首を絞めて殺していて、


母が姉を殺していいのに、なんで人を殺してはいけないのかわからなかった。


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キラキラ・・・・・・目が眩むぜ・・・・・イカン。イカンのだ。