To: 2011/8/2(火) 1:33
7月31日の感想と整理などです。
開始早々、降り注ぐ光の祝福の大盤振る舞いでした。
体感的には天使のモフモフの羽に全身を包まれたような密度と暑さでした。アッツー!
途中で私なのか天使なのかわかりませんが、「会えてよかったなー」
という言葉が浮かんで泣けてきました。
光に身をゆだねていると、そのときずっと気にかかっていた人の姿が思い浮かびました。
その人はつい最近亡くなった故人で、生前はけして幸せではなかったのではないかと
思われる人で、その人は生前、生後、満足な生を贈ったのだろうか、ずっと気になっていた人でした。
その人の姿が急に思いうかび、状況が状況なだけに、奇妙な精神世界に入るのはやめようと
その光景を振り払おうとしたのだけど、目の前にちらつく光景は去らず、ただ眺めていました。
その人は、光の人影に何人にも囲まれて、その先の真っ白な光に歩んでいきました。
その人自身が、周りを囲んでいる天使のうちの一人になったように光り輝き、
そして彼女を見つめる私を振り返りました。
彼女と私の目が合い、そして彼女は、心の底から溢れる様に、私ににっこり笑いました。
「だいじょうぶ。私は幸せよ。」と、心に直接声が響いた気がしました。
辺りは温かい光に包まれ、私は、ああ、彼女はだいじょうぶなんだ、と安堵して見送りました。
涙が滲みました。
彼女は光の人影に率いられ、光に入っていき、彼女自身が真っ白な光になりました。
(ちなみに、「彼女」は、私がここに来る一週間前に急死した、外国の世界的な女流作家で、
彼女の「生前」に、当然私などと一面識などなく、私の存在自体を知ろうはずもない。
そんな人の死後に、イメージの中か夢の中で、こことそこ、世界と世界の狭間で、
この世での最後のお別れの瞬間、親密な一瞬を過ごす奇跡、可笑しさ、奇妙さ。)
・
時間の終わりのほうで、以前も「今までの道」から
別の道の選択肢のとば口を指し示されたという話を思い出し、
そういえば以前は・・・と思いだしてたら、その感覚をもっと強められた感じがしました。
時間中、ずっと葛藤していて、カードに集約されたのが、部屋に入った瞬間から浮上してきた
「可哀相がりグセ」でした。
ずっとあったのは、その意識との葛藤でした。
それがそんなに自分にあるとは、馴染んだ感覚なので改めて意識してなかったものが浮上してきて、
それがどれほど自分に負担だったかも浮上して見えてきて、
「でも、だって、あんなことやこんなことがあったんだよ、なんで手放さなきゃならないの?」
「だって、だって」と葛藤がぐるぐるしてたのですが、
古い意識と誘導されるエネルギーのふたつの世界と世界が葛藤しながら、
エネルギーに押し流されるように目の前に分岐点が迫ってきて、
何が何でもどちらかの道を選ばなくてはならない、今までと、これからと。
ふたつの道のどちらかを選ばなくてはならない引き裂かれる拮抗の緊張と、
私にはできない、飛べない、今までの道からもう一つの新しい道へ行くことなどできない、
恐怖が最高潮に達したとき、「大丈夫!!」と私の心に直接触れるような暖かく力強い声が降り、
私は自分の不安や恐怖よりその声を信じて跳びました。
「そうだ、それはもういいんだ、それはもう要らないんだ、
それが、それこそが、ずっと苦しかったんだ、辛かったんだ」
と古いエネルギーが私の肉体や意識や人生に及ぼしていた影響の全体図が一瞬、
鳥の目から見る地図のように俯瞰でき、心からそう思え、腑に落ちた時、
おもかじいっぱい直角90度の急カーブを描いて、
こちら側からあちら側に道が切り替わりました。
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すると何かがごそっと抜けて体の芯が軽くなりました。
大きなものが抜けて、骨が整列したように、腰からカクッと力が抜けたと思ったら、
自分の中でガチン音がするほど、電車のレールが切り替わったような感覚がしました。
そうした「意識」から別の意識に切り替わった瞬間に出たものが先生の仰った、
「心身の古い疲れ」だったのだと思います。
どれだけ寝ても何をしてもへばりついて決して取れなかった
私の肉体の一部のようになっていた体の中心の「疲労の塊」、あれほどの心身の疲弊の起源が、
自分で自分に湯水のように浴びせていた「可哀相がり癖」からきていたと、
体で思い知らされて、それはちょっと衝撃でした。
自分で自分に浴びせていた「意識」そのものが、これほど自分を疲れさせ、重荷にさせていたとはと。
どおりで先生方が、「情で見ない、同情しない」を金科玉条にしているかと納得しました。
これほどはっきりと「肉体」でその効果がはっきりした以上、何も誤魔化しがきかない。
「私の意識が創っている」こと。
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カードの意味も、「過去にポジティブな意味を与える」という一番基本で一番できないことでした。
過去にポジティブな意味を与えるなら、今、ここもポジティブな意味にできる、
「今まで」を許し、今までを形作ってきた、他者も自身も許し、「今」を許す…・。
それは本当に、「今までの私」を180度変えることです。
「可哀相」がるって一番安易なこと、一番「世間的」、一番「正義」っぽいことです。
何かにポジティブな意味を与えるとして、ポジティブな「思考」でいいのか、
気持ちを切り替えればいいのか、でも気持ちを無理やり変えるのも変ではないか?
いまいちわからず、「残念」「可哀相」「もっと正義が行われるべき!」
という、言ってしまえば、今まで通りの「無難」な反応、
人類の無意識の教科書的に反応してたわけですが・・・。
けどそういう意識を、シフトチェンジして(いただいて)見ると、
それがどれほど無意識ながらに、恐ろしいほど破壊的なことか、
けれど今まで慣れ親しんだ反応、「人類の教科書的反応」に身を任せることが
どれほど強く甘く簡単な誘惑かという、それに抗うことの困難さも垣間見えました。
一度外に出て自由を見ないと、自分がそこに閉じ込められていたということにも気づけず、
自由が怖くていつもの暗がりに戻りたがってしまうのも人間の性・・・・難しいです。
・ ・
彼には今まで、新しい「道」を指し示してもらたけれど、
それを歩いて行くのは、翼ではなく、私の足でなのだと思います。
「今まで」教科書どおりに反応してきたすべてのやり方を変える、未知の道を行くこと、
難しい、困難なことですが、けれど、サポートを杖にしながら、
一歩一歩行くこと、自分で自分を創り上げていくことが、
彼らのメッセージに応えることになるのか、応えていきたいと思います。
するとまた、私の前に新しい道、新しい分岐点、新しい葛藤が現れ、それはかなり苦しいのだけど、
彼らの私の心に触れる暖かく力強い「だいじょうぶ!!」を信じて、
声に道の先を光照らされて、声に導かれて。
世にも奇妙でエキサイティングな、3時間の物語、ありがとうございました。
プラネタリウム“満天”上映作品スターリーテイルズ 星座は時をこえて[ハイクオリティ版
http://www.konicaminolta.jp/manten/program/cg/summer_11/index.html
直下型地震埼玉M5来たけどそんなんどうでもよくて、
姫神(2世)とかオリガとかカガヤとかクオリティパネェ神がかっててヤバイ
池袋今日が最終日で見に行きたいけどけどけど









