Category:菓子 

洋菓子  

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菓子

曖昧さ回避 おかしは、この項目に転送されています。平安時代の文学における美的理念の一つについては「をかし」をご覧下さい。

チョコレート菓子

抹茶羊羹

ショートケーキ

加工された菓子

菓子(かし)は、甘味や塩味などの味覚を強調し、あるいは食感などの触覚を工夫し、各種の匂い嗅覚などの食味感覚嗜好品として製造、調理された食品。一般に、穀類の粉を練り焼くあるいは蒸すなどしたビスケット饅頭糖質を主体としたキャンディチョコレート類、アイスクリームなどの冷凍菓子などを総合し、菓子と分類されている。

近代になり、冷凍冷蔵技術の向上と大量生産を可能にする工業化が進んだことで、菓子の種類と生産量は飛躍的に増えた。これにより菓子製造販売は、旧来の職人が手作りして専門菓子店(和菓子店・洋菓子店・煎餅店等)で小売りするといった形態の他、工場生産された包装済みの菓子が小売店(スーパーマーケットドラッグストア等)で販売されるという形態が定着した。主に品質が均一で安価な商品工場で生産し、手間のかかる高品質な物や流通の困難な商品は専門菓子店が製造するといった棲み分けが定着されてきている。

なお、日本では食品衛生法および乳等省令により、アイスクリームなどは一般食品である菓子ではなく、乳製品として分類されている。また、果実乾燥させたり砂糖漬けにしたものや、焼き芋煎り豆などに代表される農産物を単純に加工したものは菓子製造と見なされない場合が多いが、一方でポテトチップポップコーンに関してはスナック菓子として扱われている。

 

目次

 

菓子の発祥と伝播

約1万年前の壁画蜂蜜の採取と思われるがあり、人類は有史以前から蜂蜜果物などの甘味を求めていた。また、身体維持に欠かせない塩分は、その必要性から塩味といったおいしさとして認識されていた。様々な穀物を粉にし、それを練って火にかけるという初歩的な調理が行われるようになってからは、食物に対して栄養を求めるだけでなく、甘味塩味をより楽しむ事が求められるようになり、そういった味覚への追求が菓子を創造する原動力になったとも考えられている。

農耕牧畜が発展し、原種小麦が現代品種に至って以降、文明の発達と共に菓子が作られはじめた。紀元前22世紀頃の古代メソポタミア新シュメール時代マリ王朝宮殿跡から「うずくまるライオン」の菓子型が出土している。「楔形文字」の解読研究によるとマリ王朝には「メルスの製造者」という職業があり、「メルス」は練った生地にナツメヤシピスタチオ、干しイチジクや干しブドウ蜂蜜や各種の香辛料を混ぜ込んで焼き上げたものだとされている事が解り、これが現代焼き菓子につながるものだとも考えられている。

また、紀元前1175年エジプトラムセス3世には、製パン施設と思われる壁画があり、パンとともに「ウテント」という渦巻き状の揚げ菓子と思われるものが描かれている。墳墓副葬品として、食物を作る人々の像や食物も出土しており、それらの研究から当時14種類の菓子があったとも推測されている。

紀元前2000年頃に地中海で海洋文明として成立したエーゲ文明はアジアの文物を媒介し、後継であるミケーネ文明をさらに引き継いだギリシア時代には、誕生日を祝う現代のバースデーケーキにあたるものなど100種を数える菓子があったと言われている。紀元前2世紀頃からはバターも知られはじめ、チーズの製造にも工夫が重ねられチーズ専門の職人も存在しており、獣脂やガチョウなどのも菓子製造に利用されたようで、脂質を有する菓子作りの基本となる食材が揃い始めた時代でもあった。

文明の勃興期、穀物を製粉加工する粉食は世界各地で多発的に起こったとも考えられている。ユーラシア大陸の各所で派生した文化が成熟し、ギリシアペルシアのように争いを含め様々な形で交わっていく過程で、菓子はさらに多様化し広まっていった。現代のアラブ諸国に見られる揚げ菓子も、ギリシアで婚礼菓子として用いられていた蜂蜜入りの揚げ菓子が由来であると考えられている。

職業としての確立と発展

紀元前7世紀頃に建国されたローマ時代、曖昧であったパンと菓子は種類により明確に分類されるようになった。それまで、どちらかと言えば女性が担う調理仕事の一つとして扱われていた菓子作りだが、儀式の供物用に特別な菓子などが求められはじめ、種類も多彩になった事などから女性のみに限らず男性が職業として関わるようになり、紀元前171年には法的にも承認され、菓子職人が男性の職業として確立する事となった。当初、権力者や富裕層のために、あるいは特別な儀式のために作られていた菓子は、その製造が職業として認められ充実していくにつれ市民にも広まり、一部にはローマ市内で販売されるまでに至った。また、ローマ人の生活と神事は切り離せないものであり、様々に工夫され飾られた供物菓子が神殿に奉納されており、これらが現代の菓子のデコレーションの原型となっているとも考えられている。さらに、ガイウス・ユリウス・カエサルはアルプス奥地から氷雪を運ばせ、乳や蜜のほか酒を混ぜあるいは冷やして飲んだとも言われており、氷菓の原点もこの時代だったという説もある。

帝政となりローマは更に繁栄を極め、菓子に用いられる材料もますます多様になっていった。紀元前のアレクサンドロス3世による東方遠征時、インドサトウキビの絞り汁を発酵させた「葦の茎からとれる蜜」があると報告されていたが、その発酵物を固めたと思われる「サッカラム」も蜂蜜や果糖と同様に菓子作りに用いられていたと考えられている。

さらに、312年頃には市内にパン屋と菓子屋が合わせて254軒もあったと伝えられており、合わせ型による焼き菓子工芸菓子も登場し、富裕層や貴族階級の宴席を飾っていた。カトリックの洗礼式などで用いられる「ドラジェ」や、イタリアクリスマスに欠かせない「パネトーネ」もローマ時代が起源と言われており、あらゆる物品が集うと言われ世界第一の都市であったローマにおける菓子の隆盛が、現代菓子の基礎となったと考えられている。

ヨーロッパの菓子史