発明(はつめい、英: invention)【前半】目次 概…
芸術における発明
芸術の歴史は長い発明の歴史でもある。発明的思考は芸術的創造力の重要な部分を担ってきた。芸術における発明で特許を取得できるものもあるが、多くの場合は特許法における「発明」の要件を満たさないため、特許を取得できない。
美術・デザイン・建築
“ | 絵は脳で描くものであって、手で描くものではない | ” |
美術は何度も再発明されてきた。発明家でもあった芸術家、建築家は数多くいる。彼らは、未知を探究し、壁を乗り越え、旧来の慣習を捨て、新たな領域へと到達するような創造を行ってきた。20世紀になると従来のルールを打ち破ることが最も価値のあることとされるようになり、概念的革新が賞賛され、新たなジャンルを生み出すようになった。20世紀になって初めて、有形の個々の美術品よりも美術品の中のアイデアが重視されるようになった。芸術家は歴史上常に発明を行ってきたと見なすことができ、発明が美術や他の分野に重要な貢献をしてきた。
ピカソのような芸術家は作品を制作する過程で発明家となる。発明と芸術作品は別物という芸術家としてレオナルド・ダ・ヴィンチがいる[22]。美術における発明には、それに先立つ科学技術の発展を利用したものもある。例えばピカソとフリオ・ゴンザレスは溶接技術を使った新たな彫刻を発明し、コンピュータによってコンピュータアートなどの新たな芸術形態が生まれ、写真や映画の発明も新たな芸術形態を生み出した。溶接による彫刻のように、芸術における発明は新たな媒体あるいは新たな芸術形態、あるいはその両方という場合もある。例えば、ピカソの発明したコラージュ、マルセル・デュシャンの発明したレディ・メイド、アレクサンダー・カルダーの発明したモビール、ロバート・ラウシェンバーグの発明したコンバイン・ペインティング、フランク・ステラの発明した立体的絵画、エドワード・マイブリッジ[23]が発明したとされる映画などがある。作品の新たな制作法を開発するという形で芸術を再発明することも行われてきた。例えばジャクソン・ポロックは全く新しい絵画制作技法を発明し、キャンバスを床に置いてそこに絵の具をたらしたり、注いだり、はね散らしたりする新たな抽象画を発明した。ピカソとブラックが発明したキュビスムのように[24]、新たな芸術運動は複数の人が協力して生み出した発明品といえる。芸術やデザインや建築におけるかなりの発明は、道具の発明や改良によって可能になった。例えば、印象派絵画が生まれるには、屋外で気軽に絵を描ける絵の具の金属チューブへの封入という発明が必要だった。芸術における発明は他の用途に発展することもあり、例えばアレクサンダー・カルダーのモビールはベビーベッドの上に吊るして使われるようになっている。芸術・デザイン・建築における発明の特許から得られた資金で、発明や他の創造的仕事の実現をサポートすることもある。フレデリク・バルトルディは自由の女神像の特許を1879年に取得し、その小型のレプリカの製造販売からライセンス料を徴収してニューヨークの自由の女神像を立てる資金の一部とした[25]。
他の芸術家、デザイナー、建築家で発明家でもある人物としては、フィリッポ・ブルネレスキ、ル・コルビュジエ、ナウム・ガボ、ルイス・カムフォート・ティファニー、バックミンスター・フラー、ウォルト・ディズニー、マン・レイ、イヴ・クライン、イオ・ミン・ペイ、ヘレン・フランケンサーラーらがいる。中には特許化された発明もある。特許の要件を満たさない発明もあり、特にデュシャンのレディ・メイドのように従来の技法との明確な違いを示せない場合がそれにあたる。抽象絵画、油彩、インスタレーションといった発明は発明者が不明であり、当然ながら特許化されなかった。また、ピカソはコラージュの発明者だとされているが、西洋以外の文化にはもっと以前から同様の技法が存在した。
特許取得可能な美術関連の発明は、新たな素材・媒体・イメージ・制作法を使ったものや斬新なデザインのもの、あるいはそれらの組み合わせである。フィリッポ・ブルネレスキ、ルイス・カムフォート・ティファニー、ウォルト・ディズニーといった人々は芸術関連の特許を取得した。イヴ・クラインは International Klein Blue という色を発明して1960年に特許を取得し、2年後に自身の彫刻作品に使用した。ケネス・スネルソンも自身の作品で必須な発明の特許を取得した。バックミンスター・フラーの有名なジオデシック・ドームは彼の28の特許の1つでカバーされている。照明デザイナーのインゴ・マウラーも作品に関する発明について一連の特許を取得している。IDEO社ではデザイナーの作品について多くの特許を取得している。デザイン上の発明は、アメリカではデザイン特許という特許の一種として保護する(日本では意匠権として意匠法で保護する)。
音楽
- 紀元前5000年ごろ - 中国で骨製の横笛を発明
- 紀元前3000年ごろ - 中国で弦楽器(古琴)を発明
- 619年 - 中国で100人以上の音楽家を集めたオーケストラを発明
- 1025年 - グイード・ダレッツォが音符(階名唱法)を発明。UT, RE, MI, FA, SO, LA と命名。1500年代にUTがDOになり、TIが追加された。
- 1225年 - イギリスで輪唱を発明(『夏は来たりぬ』)
- 1607年 - クラウディオ・モンテヴェルディがオペラの傑作『オルフェオ』で、柔軟な伴奏を伴った叙唱による音楽体系を発明
- 1696年 - 音楽家 Etienne Loulie がリズムを刻むメトロノームを発明[26]
- 1698年-1708年 - バルトロメオ・クリストフォリがピアノを発明[27]
- 1787年 - モーツァルトがアルゴリズム的作曲法 (Algorithmic composition) を発明(「音楽のサイコロ遊び」)
- 1829年 - シリル・デミアンが現代的なアコーディオンを発明
- 1835年 - プロイセン軍楽隊長ヴィルヘルム・ヴィープレヒトと楽器職人ヨハン・コットフリート・モーリッツが実用的チューバを発明し、特許を取得[28]
- 1841年 - アドルフ・サックスがサクソフォーンを発明
- 1880年ごろ - アルゼンチンでアフリカ/インド/スペイン音楽からタンゴ音楽を発明
- 1919年 - レフ・テルミンが初の電子楽器テルミンを発明
- 1922年 - George Owen Squier がBGM(店舗などに流す音楽)の方式を発明[26]
- 1932年 - リッケンバッカーの George Beauchamp がエレクトリック・ギターを発明(フライングパン)
- 1953年 - ビル・ヘイリーがロックンロールを発明(「クレイジー・マン・クレイジー」)
- 1957年 - イリノイ大学でコンピュータ支援作曲システム Illiac Suite for String Quartet を発明[26]
- 1964年 - ロバート・モーグがモーグ・シンセサイザーを発明[29]
- 1974年 - エメット・チャップマンがチャップマン・スティックを発明
文学
- 紀元前1950年 - 物語形式の小説が発明される(『シヌヘの物語』)。なお、『シヌヘの物語』は聖書のモーゼの伝説の原型といわれることもある。
- 紀元前675年 - シチリアのステシコロスが英雄バラッド詩を発明
- 553年 - プロコピオスが醜聞文学を発明(『秘史』)
- 7世紀 - 中国で木版による印刷を発明
- 1022年 - 日本で紫式部が恋愛小説を発明(『源氏物語』)
- 1657年 - シラノ・ド・ベルジュラックがサイエンス・フィクションを発明(『月世界旅行記』)
- 1816年 - メアリー・シェリーがホラー小説を発明(『フランケンシュタイン』)
- 1843年 - エドガー・アラン・ポーがミステリー小説を発明(『黄金虫』)
- 1857年 - ギュスターヴ・フローベールは、語り手の正体を隠してその視点で描きつつ、他の複数の視点でも書くという形式を発明(ボヴァリー夫人)
- 1895年 - ジョーゼフ・ピューリツァーが新聞でのコミック・ストリップ連載という形式を発明(イエロー・キッド)[26]
演劇・芸能
“ | 記憶力が衰え、自信がなくなり、創造力 (invention) がなくなってきた。私にとってはほとんどおしまいといってよい。 | ” |
マーサ・グレアムなど多くのアーティストの作品が発明的とされている[31]。
- 紀元前450年 - ソプロンがミモス(パントマイムの原型)を発明
- 1597年 - ヤコポ・ペーリ(イタリアの音楽家)がオペラを発明(『ダフネ』)
- 1780年 - セバスティアーノ・カレッソ(スペインの舞踏家)がボレロ舞踏を発明
- 1833年 - トーマス・ダートマス・ライスがミンストレル・ショーを発明
- 1880年ごろ - アルゼンチンでアフリカ/インド/スペインの舞踏や音楽からタンゴが発明される。
- 1922年 - ニューヨーク州スケネクタディのラジオ局WGYでラジオドラマの形式が確立[26]
- 1993年 - マイケル・ジャクソンらが、重心以上に身体を傾けることができる特殊な靴のシステムを発明し特許を取得(米国特許番号 5,255,452)
発明の実施
発明は様々な形で世に出る。製品やサービスとして販売されるものやライセンス供与されるものもある。芸術的発明は、美術作品を展示したり、音楽を演奏したり、何らかの興行という形で世に出る。発明が成功するかどうかはリスクがあり、支援や出資を得るには困難を伴う。発明家を支援する補助金制度や支援制度、あるいはインキュベーターと呼ばれる支援者がいて、必要な技能やリソースを提供することもある。発明を世に出して成功するには、一種の情熱と企業家としての才能が必要である[32][33][34][35][36]。
経済学において、発明は「正の外部性」のよい例であり、直接の利害関係者以外にも有益な副作用をもたらす。経済学の中心的概念として「正の外部性は内部化すべし」というものがある。発明者が正の外部性のせいで十分に報いられない場合、すなわち発明者の権利が保護されない場合、社会全体が発明に投資しにくい方向へと向かう。特許制度は発明の正の外部性を内部化するもので、経済全体として発明への投資を増やす効果がある。
発明とイノベーション
詳細は「イノベーション」を参照
社会科学において「イノベーション」とは、その文化における何らかの新しいことを意味し、それが定着するかどうかは無関係である。イノベーションの定着・普及に関する理論をイノベーション普及過程論と呼び、イノベーションが定着する可能性や、普及や定着に関して人々がどう関与するかで分類するといったことを含む。エヴェレット・ロジャーズがこの理論を最初に提唱した[37]。ガブリエル・タルドの「模倣の法則」もイノベーション定着に関係がある[38]。