西アジア・地中海世界の形成 / ギリシア世界 ペロポネソス戦争 〜ギリシア内の大戦【前半】
戦争の終結とその後 対外的に互角にわたりあったアテネでしたが、デマゴーゴスによって衆愚政治に陥った結果、次第に衰退していきます。 シチリア遠征軍の全滅によって、軍事力の大半を喪失したアテネは、ついにペロポネソス同盟軍に降服しました。 戦争終結後のアテネは、強力な軍事力の象徴だった艦隊を失い、城壁も破壊されます。 また、ギリシアのほとんどのポリスを巻き込んだこの戦争によって、多くのポリスの農地や耕作地が荒廃した結果、市民の困窮化が加速しました。 一方で、戦争の勝者となったペロポネソス同盟の盟主スパルタも、長期に及ぶ戦争によって国力が低下してしまいました。 その後ギリシア中部のテーバイというポリスから名将エパメイノンダスが現れ、スパルタはレウクトラの戦いで敗退し、その後のギリシアは10年間ほどテーバイが支配するようになりました。 しかし、ギリシア社会の衰退は止まりません。貨幣経済の本格的な浸透や戦争による土地の荒廃は、急激な格差の原因になりました。そのため、戦争を市民によって行うことが難しくなり、ポリスは忠誠心の低い傭兵を雇い、戦う始末でした。 マケドニアの台頭 レウクトラの戦いで勝利したテーバイによる支配も、だんだんと陰りが見え始めます。このようなギリシア社会の荒廃に目をつけたのが、北方のマケドニアでした。マケドニアはフィリッポス2世によって領土拡大のための遠征が行われるようになり、ギリシア連合軍は紀元前338年にカイロネイアの戦いで敗れてしまいます。 (フィリッポス2世) マケドニアはギリシア社会の制度や風習、文化などを尊重し、コリント同盟という新たな同盟を作り盟主となりますが、ギリシア世界はこれ以降マケドニアの支配下に入り、彼の後継者アレクサンドロス大王の登場によってヘレニズム世界へと変容することになります。 |
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