マクドナルド挙国一致内閣 1931年、イギリスでは世界恐慌の影響で270万人にも及ぶ失業者が出ていました。 時の首相、マクドナルドは、増え続ける失業者に支払う失業保険が莫大な金額になったので、これを削減しようとしました。しかし、首相が党首を務めた与党の労働党がこれに猛反発し、内閣は倒れました。 (イギリス首相 ラムゼイ=マクドナルド) マクドナルドは、新たに挙国一致内閣を組閣し、保守党、自由党と共に、経済危機を克服する政策に乗り出します。 挙国一致内閣とは、一国の危機に対処するために、対立する党も含んだ政策を実行するための内閣です。大連立や協力内閣とも言います。 ブロック経済の確立 まず、政府は金本位制を停止しました。 金本位制というのは、国家が通貨を金といつでも交換できると保証した金融制度でしたが、イギリスはこの時期、国内の金が貿易収支の悪化により国外へ流失したことから、この制度を維持できなくなったのです。 次に、挙国一致内閣の一角を占めた保守党の意見を聞き入れ、保護関税政策を実施します。 保護関税政策は、海外からの輸入品に高い関税をかけることによって、国内産業を保護・育成していくために行われるものです。 同時に、カナダやオーストラリアなど、世界に広がるイギリス連邦の地域と共に、オタワ会議を開きます。 この会議は別名イギリス連邦経済会議とも言われ、イギリスと連邦を構成する地域との間に特恵関税を設けることによって、外国商品が連邦内に入ることを防ぐことを目的としました。 特恵関税とは、各国の取り決めの中で、特定の国々が、相互の輸出品に低関税率の設定や関税そのものをゼロにすることによって、域内の貿易を優遇するものです。 このような関税ブロックによる保護政策をブロック経済と言います。 広大な植民地を持つイギリスやフランスは、ブロック経済を次第に強化して行きました。 一方、この経済圏から締め出されたドイツやイタリア、日本は、次第に世界経済から置き去りにされます。 このような状況が、これらの国々が自分たちのブロック経済を確立するための侵略戦争への政策転換を導くようになるのです。 |
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